その神木、巨躯とて寡黙である。

とある集落の奥の坂を上った先の神社。静謐という言葉がぴったりの鳥居を構える社殿が見えてきます。

長い長い石階段。昨夜は雨が降ったせいか辺りが高い湿度に覆われ、足元も湿っています。

こういう森や山の中の神社を参拝するには雨後が最もいいと思っています。辺りに散る苔の含む水分量や吸い込む空気の湿度が参道の雰囲気を一層しめやかにさせてくれるのです。

この神社の見どころは何と言っても奥の院。ちょっと参道を歩くと、先に鳥居と立派な桂の大木が見えてきます。

あまりに巨大であまりに雄大。それは御神木ともなるのも当然といった風格です。

その佇まいと足元の清流の流れがよりあたりの雰囲気を神妙にさせてきます。樹齢はざっと500年といったところでしょうか。歴史で習うような年号をその身で体感してきた植物が目の前にあるなんてなんだか不思議な気分です。

幹の隙間から新たな枝や新芽が生えています。我々人間がこういう巨大な神木に付加するイメージはあとは眠たげな衰えるのみの老人といったところですが、本当の植物にそういったことはありません。己の生命力の成すがままに成長し続けます。

本殿に戻って先ほどの石階段を上から臨みます。ただの建物では到底ありえない何百年という年月を過ごす社とそれを支える周りの人たちの信仰が存在している…神社というものは、20年しか生きぬ人間が長い歴史を実感できる数少ない施設であるなぁと。

新たな建物が次々と作り出され、古いものは取り壊されるこの令和の時代。自分の世代にもこのような施設が残っていることに喜びを感じるとともに、取り壊す瞬間もまた我々の世代ではないだろうかという恐怖に駆られます。

時代の流れに抗う術は一介の参拝者にはありません。その社殿の厳かさを享受し、この場において名も知らぬあなたにここが良かったんだよ、と伝えるのみであります。