月草のうつろふ家屋と軒の下。

海が見える廃道に今にもつぶれそうな廃屋がありました。季節は初夏。辺りは緑が生き生きとしだし、使われていないアスファルトや屋根を覆おうとする時期です。昔は伝染病の隔離病棟であったこの施設も正に今自然に還ろうとしています。

病棟の周りをちょっと探索。海際に降りれば土と草に覆われた廃道があります。特に地面にはトキワツユクサの群生が見られます。

宗教的な神器のようにも見えますが古びたカーブミラーです。もうその役目を果たすことはありません。車は二度と通らないのですから。

今はまだアスファルトとしての尊厳を保っておりますが、いつかはそこらの石や土と区別がつかないような時が来るのでしょうか。想像もつきません。

登った地点からは今来た道から海が見えます。療養するにはさぞいい場所であったことでしょう。いずれ海に至る道というのは非常に魅力的なものです。

入口。植物で染めたような青緑色の壁面と丸い照明が歴史的ないわれがある建造物であることを辛うじて示しています。ここは三段ある棟の中で最下段の場所です。

病棟であったことを思わせる残留物はほとんど残されていません。点滴のフォルムを残す金属棒や外郭らしきベッドくらいのものです。

最上段の棟。廊下が数多の竹によって貫かれています。廃屋殺しの名前は伊達ではありません。

生長も早く、床など簡単に貫くパワーのある竹は人間の思いもよらぬスピードで建造物を解体し自然に還していきます。放棄された建物に成す術はありません。

唯一といっていいほど形を残しているトイレ。陶器は丈夫ですね。

知らぬ人がぱっと見ても病棟であったとは露にも思わないことでしょう。建物が無くなるというのはそこにあった歴史と文化と風土も消えることであると実感します。

中段の棟があるはずだった場所。森にしか見えませんがこの下には潰れた木材が折り重なっています。そう、すでに建物は無く竹に貫かれトキワツユクサの土壌となっていました。

いずれ全ての棟がツユクサの下敷きとなることでしょう。でも彼もまたいつかは他の植物にあっという間にとって代わられ植生が遷移していくのです。いつの時代のどんなものも変わらぬ姿でいることはあり得ないのです。

月草で染めた着物は色が抜けるのが早いといいますから。