木々が広がる森の中、忘れられたように廃駅跡が残っています。ここはかつて森林資源や石炭を運びたすために建設された路線の開業当初の終着駅でした。
入口はこのあぜ道。
その六角形の看板はこの道が立派な都道府県道であることを示しています。
どう見ても林道にしか見えませんが。
廃線から40年になりますがホームや駅標の枠、上屋、線路が植物に覆われながらも残っています。
昔は駅標も残っていたようですが…今は無くなってしまっています。
訪れたときはしっとり雨が降っていました。廃駅になったホームで雨宿りができるとは。
線路に降りてみます。もう運行されてはいませんから安全ですよ。
かつてはここを石炭を載せた列車が走っていたなんて到底信じられません。それでもそのことを証明するかのように線路が敷かれているのです。
木々はガシリと掴んで離さない。いつかこのホームも土くれと化す日が来るのでしょう。そんなことは自然の道理でないとは分かってはいてもなるべくならばいつまでもこのまま残ってほしいものです。
ちょっと離れた場所には別のホームがありました。すでに樹木の土壌となっています。
辺り一面緑、緑、緑…。採炭が開始されると数百人程度の街も形成されました。今は影も形もありません。
炭鉱の閉山が決まり、森林資源の搬出もトラックに切り替わっていたにもかかわらずこの路線は北へと延伸がされました。
その延伸された終着駅の名は「北進」。計画ではさらに北に進む予定だったそうです。しかし北への未成区間に着工されることはなく、北進までの開通から10年でこの路線は廃止となりました。そこには政治家や国鉄、地元住民など様々な人たちの様々な思いがありました。
廃線ともなれば路線設備は撤去されてしまうことが多いですがここは全線にわたって橋梁が多く残っています。この路線が川に沿って敷かれていることが良くわかります。
地理的にも政治的にも紆余曲折を重ねた路線でした。
廃駅に入る道の入り口には石碑が立っていました。どうやら廃校碑のようです。
二十一坪の校舎建設以来
栄華の夢となり
石炭の灯火も古に潰え
先達の思いを馳せ
ここに水上の清き流れに洗われた
白珠の光石を建立す
表側。
幸せを待つ心
この言葉にどんな意味が込められているのか、よそ者の私には決して分かりません。
炭鉱も集落も政治家も今はもうありません。
石炭を揺らし続けてきた鉄路は、全てのしがらみから解放され静かにたたずんでいるばかりです。