かの村のテーマはとかく博く。

普通の町並みのようで決して現代のそれではない。ここはほとんどの建物が元あった場所から移設されて復元された施設です。

入場料1000円。県民割引や団体だともう少し安かった。立ち位置としては博物館のようですが我々の知っている屋内に展示物が並ぶ博物館とはまるで異なります。

あらゆる建物や展示物は屋根の下ではなく空の下。この北の地が開墾された時代の風景が表されているのです。

こうしてその村のような場所に立っているとそういう時代を反映したテーマパークのようにも思えてきます。

テーマパークとはっきり異なるのは全ての建物はハリボテなどではなく、実際に入って見学することができます。

ガラスの中に歴史的価値がある物品を展示するのではなく、当時の空間を見せられているという感覚です。部屋の壁や床や調度品を見ているととても現代に存続している場所のようには思えません。

なによりこれらの建物と家具小物類を、風雨にされされ、入場者がその床を歩き、展示物に触れられてしまえる距離に置いてあるにも拘らず、管理できているのも不思議です。多少修繕や補完してある部分はあれど、過ごしたことも無いあの時代からそっくりそのまま持ってきてしまった佇まいなのです。

それらの中にある意匠など全てを見ようと思ったら1日あってやっとという程度です。それほどまでにこの施設は広く、中が凝っています。

そして余りに人口密度が低いのです。

決して歩いている人やスタッフといった人が居ないわけではないのですが、あまりに敷地が広すぎて、それこそかつての開墾の村の中を歩いている気分になるのです。

あの配管工や魔法使いのいる有名なテーマパークもこれくらいの人の多さで、規模で、整備されていればもっと楽しめたのだろうに。ああいったテーマパークは膾炙されているが故にその「テーマ」を楽しめないでいる気がしてなりません。あそこを歩いて魔術学校の生徒であるとか、キノコ王国の住民であるような視点が得られるかというとそうでもありません。人混みの中で提示されたテーマも何もないのです。

ここは決してテーマパークではないのですが目の前に広がる開拓の地であるテーマに純粋に浸ることができる点においてテーマパークを凌駕しています。題材となっている物事に対峙し体感できる博物館の神髄を体現しているともいえます。

訪れた日は晴天で、歩き回っていると少し汗ばむような陽気。敷地内が広いので尚更歩かねばならない。それでも周りを見てみると数十年前の北の地の開拓時代を闊歩している気分。

近くに寄る機会がありましたら、このテーマパークのような博物館に是非足を運んでみてください。目の前に広がる「題材」に考えさせられるはずです。

道を知る度未知の旅。

この文章をご覧に頂いている方は北海道という土地に訪れたことはありますでしょうか。

日本の沖縄と並ぶ観光地として、多くのグルメがある地として、圧倒的北の雪の地として君臨するあの北海道です。

北海道の人口が約500万。多いように見えて日本人口の数パーセントにしかならないこの数字は居住している人の割合として少なく感じます。

知名度は誇れども謎多き蝦夷の地。そして我々二輪車乗りが聖地として焦がれて止まないその土地に昨月から私は移住してきております。

 

過ごして数週間。関東の生活とは何もかもが違う。風土、食、文化、気候(GWに雪が降りました)、風景...。

これは早々にこの土地を知り尽くさないとまずいぞ、焦燥に駆られました。このまま雪が降る季節になったら恐らく大変な思いをすることになる。土地に慣れようとするあたり差し当たって、辺りを見て知ることから始めるとしました。

とはいえただ目的も無く回るのも無味ですから、目標でもあり目的地の指標ともなるコレを買いました。「北海道道の駅スタンプラリー」です。約1㎝ほどの厚みがある分厚いスタンプラリー本です。記載してある場所を巡って行けば嫌でも慣れることでしょう。

 

ところで札幌時計台、小樽の運河、旭山動物園、最北の宗谷岬、知床半島、美瑛の丘陵…北海道らしい風景はご存知でもそのほかの場所がどうなっているのか分からない方は多いのではないでしょうか。

 

 

答えは「何もない」です。

実際は農地だったり放牧地であったり木材を取るための林であったりするのでしょうが、関東の風景を見慣れているとそういう感想になってしまいます。

富士の樹海に少し似ています。あそこも鬱蒼と広がる森の中に道路が切りひらかれていて、延々両脇に暗い樹木が並ぶ中、ひたすら走っていく道なのです。

道路わきを覆う笹薮、隙間を流れる小川、離農し廃墟となった牧場の建屋…想像する「北海道の風景」の隙間を埋めていたのはこういった風景たちでした。

だからこそ知らない小さな集落にたどり着いたときに出会える道の駅はありがたいモノでした。無料でトイレが使えて休憩出来て大抵は土産物屋や飲食店がついていて観光スポットでもある。この道の駅がある街がどういう街なのかが端的に分かるのです。

ここはそういう産業が盛んなんだな、こういう暮らしをしてきたんだな、と通りすがりの旅人がさくっと知れる。今や道の駅は日本全国1200以上あるそうです。

先に挙げた有名な観光地でなくても、『道の駅がある』ということはそこに住む人たちが居て働く人が居て、産業が文化が歴史があり、それらをまとめて発信できる施設が整えられているということでもあります。「何もない」なんてことは決してないのです。

スタンプラリーがあんなに分厚くなるのも無理がありません。全国の駅の1割にあたる126もの道の駅が点在しているのですから。

各地の道の駅に関して詳細は省きます。正直書くことも無いくらい小規模な道の駅も多いのです。トイレと自販機とコンビニだけ、とか。この辺の規模に関しても関東との違いとして挙げられます。

この文章を書き終わった時点での達成率は126分の14駅。雪が降る時期のことを考えると夏の間になるべく回っておきたいところ。...なんだかこの地に慣れようとして買ったスタンプラリーなのに目的が違って来た気がします。

とはいえ、制覇したときにはこの北海道の地のことをちょっと知っている人間くらいにはなっていたいものです。それこそ読んでいただいている方に発信できるくらいには。

 

公共の施設を知り尽くす人へ。

その植物園は今までに訪れたもののどことも違っていました。

文化財にも指定されている貴重な温室を持つ動植物園。湧き出る温泉の熱で温める温室。山一つがまるまるその敷地である園などなど…

どの植物温室にも共通していたことは『鉄骨とガラス張りの屋根を持つ建物であること』です。植物を育てるためには適切な日光と温度湿度が必要ですから、最適な建物の形態ではあります。むしろそうでない植物温室など、動物のいない動物園ぐらいの感覚でおりました。

しかしこの植物園は違っていました。四角いコンクリートの要塞。ガラス張り部分はあれどもほとんどが石造りです。透明な部分から見えるかすかな植物達だけがこの中は植物園だぞとガラス越しに伝えてきます。

コンクリを主としつつも透明なガラスや幾何学的な意匠は植物園というより現代美術館のようです。こんな建物で運営している植物園なんて今までに出会ったことがありません。外観が奇抜だとはいえ植物温室の神髄は植物です。中は一体どうなっているのか。

ゲートをくぐると目の前に展開される中庭。無機質なコンクリからは想像もできない風景が広がっていました。タイルやレンガを基調としながらも植物園らしい庭園さは失われず、この庭園をぐるりと囲んで覆っていた目隠しの様な円形の擁壁の向こうには園内の高い高い樹木が望んでいます。

端にはさらさらと水路が流れ、いかにも庭園。植物園の蒸し暑い感じとはまるで違います。

室内に入ると植物園とは思えぬ風が吹き抜けます。ここが正確な温室内ではなく、あの円形の擁壁の中だからでしょうか。

外気温は内とほとんど同じ。窓が開け放たれた室内は歩くのに心地よい気温で春闌と初夏の間の時期のようです。

擁壁ゾーンを抜けると乾燥温室地帯。例によってサボテンとか水を必要としない植物達が育てられています。ドライストーンを使ったモチーフはこの温室ともこの室内ともマッチしています。

この先を抜けると大温室のようです。

正に圧巻の大温室。植物に関する雑学や案内の類は少なく、淡々と学名と特徴と育て方を記す標識が目立ちます。

植えられている植物も整然とし、建物も含めて丁寧な管理がされている。何と言いますか「雑味」の匂いがないのです。「公」の図書館や公民館に特有で独特の有機の匂いが。

公共の機関となるとどうしても「学びの場」であったり「地域の公園」としての役割を果たさねばならず、その地域特有の味がでてしまうものなのです。それがこの大温室に限っては見当たらない。どこか崇高な美術館か何かのようです。

温室の至る所に水路が流れ、それは外の中庭へも続き中庭の水は内部へも続いている。庭園というよりかはどこか都市の縮図を見ているかのようです。

その都市っぽさは建築にも表れています。先ほどからさも一本道を歩いているかのような文章ですが、この植物園には他のそれとは違って順路というものがありません。無いが故に大温室や中庭、円形の擁壁通路を行ったり来たりしていました。

ダンジョンを歩くような感覚。

そうこうして何度も往復しているうちにこの建物の目的のような意図のようなものがうっすら感じさせられるのです。

この建物を建てた人の思惑。この建物を運営していく人の思惑。

市立らしい部分といえば手作りのモニュメントが至るとこに飾られているところ。これがこの植物園の味といえば味なのです。パンフレットに記載されたカレンダーを見てみると次から次へとイベントやワークショップが行われているようです。

恐らくそれらがこの近代的な建物とそれを取り囲む装飾の融合の風景の為せる技なのでしょう。こんな別方向のモチーフを同時に取り扱っている植物園は今までにありませんでした。

できることならば貴方もここを訪れてその感想を聞かせて頂きたく存じます。時には感嘆し、あるいは訝しげに感じ、何か思うところがあるのなら。こういった今までに出会ったことのない植物園は初めてでしたから。


まだまだ私の貴方の知らない植物園は沢山あるみたいです。ここは映画館とか美術館ではないのですが、それでも初めて誰かと行って。

この場所の感想を聞いてみたいと思いました。

まだ見ぬ梅とゆめ桜。

その地へは一度だけ旅に出たことがありました。

どこまでも続く大地と広くされど曇天の空。海岸線に赴けば同じように広がる彩度の低い塩水と水平線。

かつて旅した土地に今は移住する時になってようやく今の居住の地を周りきれていないことに気づいたのでした。

広大な大地と冷涼な自然はあれども、湿度に咽る山々や狭苦しい路地は無い。春を憂鬱にさせる杉の花粉は舞わないようですが、それ同等の憂鬱さをもたらすであろう雪が降る。

あの土地にはここには無いものが沢山あるようですが、逆を言えば今いる場所にあるものがあそこにはないのです。

だからこそ今こうして遅すぎる焦燥を胸に旅に出ています。

昔は良く赴いた伊豆…の手前にある箱根や鎌倉といった一大観光地は素通りしておりました。わざわざ人の混むところに行くことは無かろう、と。

それが今回の焦燥の旅に所以です。こんなにも近くにあったのに行かないままで良かったのだろうか、日本の真ん中にいるうちに行くべきだったのではないか。そんな思いが残る気がしてならなかったのです。

今いる場所は静岡は箱根。言わずと知れた温泉地であり観光地です。海岸線を進む渋滞したバイパスも、写真を撮るために並ぶ人の列も、駅前の食べ歩きを楽しむ人たちによる乱雑も今は楽しめている気がします。

特によかったのは山の中腹にある大きなお寺。道の駅のサイネージでたまたま知った場所ですが、天狗を神として祀る由緒あるお寺のようです。

荘厳な雰囲気と静謐なる参道。この山深き神域あっての寺社なのでしょう。故郷の寺社と似る空気が漂っています。

今こうして当然として享受する文化は果たして向こうにはあるのでしょうか。聞くところによると独自の文化を形成するアイヌとやらの地だそうではないですか。

これが正に『あそこにはここには無いものが沢山あるが、今いる場所にあるものがあそこにはない。』ということでした。あそこを否定してはいないのですが慣れ親しんだ周りの風景を全て捨て去って全く新しい風景の中に飛び込む勇気がわかなかったのです。

根拠のない持論を払拭してくれたのは境内に咲く春の花々たちと物言わぬ烏天狗の像でです。別に言葉の通じぬ外国に行くわけじゃなし、似たように楽しめる植生と文化感はあるよと言われた気がします。

2月下旬の関東の山間は梅が見頃でした。これらが散ったら桜の季節になるのでしょう。現に品種的に早咲きの桜は町のあちこちを桃色に染めていました。今年は桜が二回見られそう、とえらく傍観した思いがしました。

かの地で咲く梅や桜が同じ品種のそれかは知りません。貴方の周りにある当たり前もいつまであるのか分からないのと同じように。

海から日本を見てみよう。

海を知ることのない人生を送ってきました。

山に囲まれた内陸で育ち、成人するまでに数回しか海を眺めることのなかった人間にとって、ここに移住してからというもの、毎日のようにそれを見ていることがなんだか不思議に感じます。

そんな移住生活に早くも終わりが来て、またも内陸に戻ることと相成りました。それもただの内陸ではなく、遠く囲む海には氷が浮かんでいるような内陸へ。

ただ海の見える生活だと歓喜していた自分にとってそれは焦るものでした。単に毎日を水の大地を眺めるだけでどこか満足し、その塩水に触ることも足裏で砂浜を踏むこともしなかったのですから。

遅すぎる焦燥を胸に海をじっくりと堪能しようとこの場所に赴きました。名を海中公園展望塔。日本は海洋国。その生活を堪能するには十分な施設ではないでしょうか。

全国各地にはこういった海中展望台というものはいくつかあるようです。初め見た時は灯台か何かだと思っていました。それが海中の中に立つ塔だと知ったときにはなんて酔狂なものを作る人がいるのだと感心したものです。

入場料は300円ちょっと。ずいぶん安いですが今日の天候も関係しているようです。

「水が濁ってよく見られないかもしれませんよ。」

受付のおばさまがそう忠告するのも納得の曇天と風の強い日でした。

塔の螺旋を降りていきます。構造は灯台とかと一緒のよう。前後には誰の客もおらず、自分の階段を踏む音だけが響きます。

「これより海中」の文字。数十段おりましたが壁が無ければ塩水に浸っている深度であることはあまり実感できません。こんな人間は宇宙船に乗っても同じことを思うのでしょう。

底に着きました。他の空に伸びるタワーなどと一緒で、中心部をぐるりと囲む展望台。異なるのは窓から見える景色が海中であることだけです。

見えます見えます数多の魚が。誰も居ないのをいいことにテンションが上がったのをよく覚えています。海の下に潜るとこうも違う世界があるなんて。

波の動きに合わせて魚が3ヒレ進んでは2ヒレ戻っていくのを長い間見ていました。大きな魚からちぎれた海藻らしきものまでがガラスの向こうを揺蕩っている。あの無機質で色の黒い波の下にはこんな環境があったなんて。

ただ目の前で認識しているのはあくまで「魚」であって「アジ」だとか「タイ」だとかではなかったのです。

ここが植物園なら少しは分かって、より面白いのに。

今までどれだけ海とその環境を眺めるだけで済ませていたかを顧みることとなりました。

塔の壁のパネルにはここから見られる魚たちの解説が。やっぱり天気が良ければもっときれいにみられるらしいというのが判明しました。あとから来た初老の男性はプラプラと塔の中を歩いています。あのような常連らしい人にとってはこれもまた日常の一部なのでしょうね…

我が国は海に囲まれた島国だと幼い頃から耳にしておきながら、その本質や神髄は知らぬままに正に上辺だけ眺めていたのです。海中深く(深いという水深でもありませんが)潜ることで初めて知り得ることもありました。

螺旋階段を上り、海上へ。雨が降っていないのが不思議なくらいの曇天です。

前は誰も居ないけどあの男性は付いてくる。

海面を擦る強風が打ち寄せる波を渦のようにして消していきます。さっきまであの鈍い意識の中に自分が居たことも、うようよという擬音が似合うほど魚がいたことも到底想像できなくなっていました。

出るときになってあの初老の男性が後ろから「ありがとうございました」と言いました。そこで初めてこの男性がこの施設の関係者であることに気づきました。

こんな日はあまり人も来ないのですかと尋ねると、

「風があまりにも強いので今日は閉鎖することにしました」と。

どうりでお客が少なかったわけです。長居してしまったことを恥じ、突風が殴りつける橋を渡って帰ります。

ここらに来てから毎日海を見ていましたが、私が見ていたものはやはり「水の大地」であって「海」ではなかったのだと風に打たれながら思いました。

ここに至るまでの道すがらにも、ふと立ち寄った生活にも数多の漁村があり、海の鱗片を見てきたはずなのに、それらを海の一部だとも思わず、使われているんだか使われていないんだか分からない設備だらけだ、と一瞥して散歩していたのです。

橋を渡って出口。壁内には波を模す褪せたグラフィティが奥まで続きます。

こちらこそありがとうございました、と心の中で唱え、暗いトンネルを歩きました。

移り住む日までにもう一度来れるだろうか、その時は水は透き通っているだろうか。

これからも海の知らない人生は続きます。

二元論まで何マイル?

少し前から地図というものをが面白いと感じるようになっていました。旅の前に計画する段階でガイドブックを読んだりグーグルマップを見る方は多いと思います。いつからだったかそういった旅の計画をペライチの紙の地図でやるようになりました。嵩張らず、書き込むことができて、その地域全体の二次元を俯瞰で見られる…便利ではないかもしれませんがこれから旅をする場所、今まで旅してきた場所が手のひらに収まっている感じがしてとても愛着が沸きます。

そんな風に日々お世話になっている2万5千分の一地形図を発行しているのは国の行政機関である国土地理院。歴史マニアがその史実が起こった場所に行ってみたがるのと同じように、アニメオタクが聖地巡礼をするように、国土地理院に行ってみたいと思うようになったのも自然の成り行きかと思いました。

正確に言えば国土地理院の隣に「地図と測量の科学館」という施設があります。ここでは今日に至るまでの測量の歴史、地図を作成するという行為の詳細、それらの技術や道具…様々な展示となって分かりやすく見ることができるのです。

晴天の空の下に映える建物。エントランスはいかにも「科学館」。

お隣の無機質な国土地理院本館よりかはちょっとおしゃれな造りです。

全体の配置図。なんか建物群が左に寄ってて右には道が妙な造りを形成しています。奥に道が続く敷地は後にしてまずは館内から。

博物館内はかつて測量に使われていた道具が見られたり、

博物館らしく詳しく説明されたパネルが展示されています。こういうものを読むのは少し億劫ですが、ちゃんと読むとかなり面白いものです。

屋外に出るとまず目につくのはドーム状のモニュメント。実はこれ地球の20万分の1の地図なのです。なんだか位が大きすぎてピンときませんが、要するにこれを20万倍にすると地球と同じ大きさになるということです。…やっぱりピンときませんね。

そしてこのモニュメントの上は乗って歩くことができます。気分は20万倍の巨人気分。各都市や道路も詳細にタイルに描かれていて、ついしゃがんでまじまじと眺めてしまいます。

地図の楽しさ。それは自分がいる世界を俯瞰で見られることだと思います。地図の平面と実際の立体のようなイメージ。行きたいスポットや施設、そこまでのルートばかりに目が行きがちで気にも留めないことが多いですが、地図を見ると地続きなんだなぁと実感させられます。

そのほかにも昔、測量に使われた飛行機なども。引退して展示物となっていますが、彼はかつて空から国土を測量し、地図を作る礎となった機体です。正に机の上の地図を眺めるが如く日本の地形を俯瞰していたのでしょう。

少し離れた場所には謎の塔。恐らくこれも測量に使われている(もしくは使われていた)何かなのでしょうが、説明版などはありませんでした。

恐らくこれも測量の何かに。

恐らくこれも...敷地の奥に進むにつれどんどん何に使われていたものか何の展示物か分からなくなってきました。でもそれを想像するのも楽しいものです。グーグルマップにも施設や碑としての案内は無く、訪れて見てみないと何かも知らないままだったことを思うと。

まさかこれがあの地図によく書かれている水準点というやつじゃないですよね…ご当地名物をかたどったデザインマンホールのようなものでしょう。

国土地理院の水準点はちゃんとありました。まずそもそも水準点とは何なのかわかってなくても問題はありません。またそれを知るための施設でもあります。

博物館や資料館といった施設の意義はそういうモノだと思います。これが道端に落ちてるただのアレと思っているのが0で専門にして仕事や研究ができるくらい知っているのを3776くらいだとすると水準点の意味を知るだけでも25くらい?になれる気がします。

そしてそういう館に来たらお土産コーナーも忘れてはなりません。

いつかは全国揃えてみようかなと思っていましたが全て揃った枚数を見ると無謀な試みだと知りました。1枚350円だとしても日本全国俯瞰で見られる頃には自動車が買えます。

買ったのはキーホルダーとこの博物館がある地域の2万5千分の1地形図です。道端にへばりついているアレがキーホルダーになっている理由も買ってしまった理由も良く分かりませんがグッズというのはそういうものです。

外に出て冬晴れの空を見上げると変な形の街灯が。先程見た配置図の右にあった道の形に似ている気がします。デザインマンホールと同じように街灯も地域性を表していることが多いのでもしかしたら関係があるのかもしれません。

普段眺めている地図の場所に実際に行ってみると解像度が高まります。ここで記述したことは縮尺が大きいが故に机の上の地図、若しくはスマホの地図には乗っていません。

平面だった世界に実際に行ってみるととても面白いものです。二次元の2万5千分の1であった世界を上から見ていた自分がその地に赴けば三次元の世界にいる。

考えてみればそれもそのはずで私たちは1分の1地形図の上に立っているのですから。

 

 

名が無き木々に花名札を。

良く晴れた晩秋の日。とある本を読んで行ってみたかった植物園に行くことにしました。

その本というのはそこで働いている人が書いた手記のようなもので植物園を運営する上での苦労や楽しさなどがつづられていました。

まずは目当ての温室に向かうことにします。

さすがに実験植物園ということもあって温室自体に建築的意匠が凝らされてはおらず、無機質なガラスの箱といった見た目です。
しかし規模はなかなかに大きく、外から眺めるだけでも期待大です。

乾燥地帯温室。他の民営の植物園や公園・レジャー施設的要素が強い植物園だと「スゴイでかい!」「変な形!」「名前が面白い!」といったインパクト重視の植物を展示することが多いのですが、ここは名前も初めて見るような植物たちが多いように感じられました。


全ての植物達にラベルが付いていて、種の保存と繁殖に力を入れていることが分かります。

広いガラスの空間にこれでもかと押し込まれ、造園的に見せるというより如何に多く収容するかに重きが置かれているようです。

これだけの生き物を一度に集合させた場所で一括で管理することにどれだけの労力が必要なことでしょう。


一番感動したのは「奇想天外」。通学していた学校の裏の植物温室におかれていて鉢に植わった小さいものは見たことがありましたがここまで大きくなったものは初めて見ました。ネーミングセンスもいい。

名前もさることながら驚くべきなのはその生態。地中深くに値を伸ばし1000年も生きると言います。
これほどまでに大変貴重なものを野放しで展示していると何か良からぬことを企む人が居ないかどうか不安になってしまいます。

次は圧巻の熱帯温室。11月の冷えた空気で冷やされたレンズは瞬く間に温室の湿度で曇ります。まぁじきに晴れると思って辺りを散策。二階部は歩道橋状になっていて一階部に根を下ろす植物達を見下ろすことができるようです。

勿論見上げるのもジャングルを探検しているような気分になれるので好きな眺め方なのですが、やっぱり熱帯温室は上から見下ろすのが一番なのです。

背の高い樹木はそれでも優に目線を超してくる。

職員の方が書いたであろう手書きのポップ(という言葉が正解かわかりませんが)も見どころで、堅苦しそうな植生の説明は抜きに栽培する側の視点で語られたメモを見ることができます。

彼らの仕事は直接的には目に見えず、この温室の中に具現しています。目の前の木々の一本にどれだけの苦労と手間がかけられてこの姿になったのかをちょっとだけ垣間見れるのです。

外へ出て公園部。鬱蒼とした雑木林のように見えますが、貴重なシダを展示する区画のようです。

ワラビやゼンマイといった馴染み深いシダはさることながら希少な種までをこうして近場で見ることができます。

このスペースにこれだけの種を揃える...きっと職員さんの中に類まれなるシダ好きがいるのでしょう。その偉業は分からない人が見てもその価値が分からない。かく言う私もどれだけ大変なことかもわからないのですがとても大変だということだけは凡そ見当がつくことだけ。

外れにぽつんとある小さな温室。ここは絶滅危惧種など貴重な植物を保管している場所のようです。

絶滅危惧種…ニュースやテレビでは聞けども実感のない方は多いのではないでしょうか。それでも目の前にある鉢の植物がこの広い地球で数本しかないと分かると嫌でも実感させられるものです。

たかが一種。名の知れない植物が絶滅したからといって私たちの生活に影響を及ぼすわけではありません。しかし。

そのたかが一種にこれだけの労力を費やしている人と施設がいるということを見たならばそういう感情は霧散していくのです。この温室には(も)監視カメラが据付られていましたが、願わくば無用の置物であることを願っています。

温室を出てエントランスに向かうと冬に近づいた日の太陽はかなり低くなっていました。高い木々を照らす西日は紅葉として名高くない木々達をそれは綺麗に照らしていたのです。

先ほどはポップが良いと申しましたが、手書きでない看板だって案内としての役割は健在です。こうして晩秋の紅葉を楽しむことができています。

久しぶりに訪れる植物園はとても良かった…というのがこの文章の主体です。各所に掲げられる標識も植物への同定意欲を高めてくれました。

園を出て通りへ。この街に来てから思っていたことですが街路樹がとても美しい。そうなるように綿密な設計と保守が為されているのでしょう。この紅葉が美しい季節にこれたのも幸運だと思います。

こうして「美しい街路樹」と呼んではいるものの恥ずかしながら彼らが何という植物なのか知らなかったのです。

この植物園は決して映えるだとか訪れたことを自慢できるという施設ではありませんでしたが、訪れた街に生えている木々の名前が知りたいと思えるような場所でした。

そんな思いで帰ってきて、撮った写真の葉っぱの形と特徴から図鑑を引くことでようやく初めて彼らの名前を知ったのでした。