霧というものがどういう科学的な機序に基づいて発生しているのかは存じません。
この地は気温と湿度が低く、夏でも快適なツーリングが楽しめる場所として知られています。どこまでも続く道を走るのに夢中でして、それのことなど露ほども考えておりませんでした。それでも出るときは沿岸の湿度によるものか、吹き付ける風によるものかはわかりませんが、辺りを立ち込めることはしばしばある事象のようです。

当初それが表れている時は何かと興奮させるものでした。
しとしと降る梅雨の霧雨よりかは夏の雹の方が、台風の日の強風よりかは暖かくなった春一番の方が。いつもと違う何かを感じてワクワクするものです。
その日も二輪を走らせていて霧が生じてくるとそういったいつもと違う何かに気持ちを高ぶらせていた時のことです。

何から来る気持ちの高ぶりかは説明しようがありません。見たこともない映画「ミスト」みたいだ、とか。プレイしたこともない「サイレントヒル」みたいだ、とか。安全な家の中から窓の外を見て夢中に興奮する小学生と何ら変わりはなかったのです。

天気予報は降水確率30%。降るかもしれないし不快かもしれないけど運転に支障はないだろうという憶測を持って発っていました。
それがあれよあれよという間に前方には白煙が立ち込めているのが見えました。
進む道の先は低い雲が流れていて、大きな壁に突っ込んでいくような感覚がしました。

実体は見えずともあっという間にバイザーを曇らせ、グローブやブーツを湿らせ、ジャケットを濡らしていました。それはいつしか視界不良に、グリップやギアチェンジやブレーキの滑りへと繋がっていました。

目の前の水滴を払ってくれるワイパーがあるわけでもなく、湿らす湿度を防ぐ鉄の壁があるわけでもない我々は常にその脅威にさらされます。瞬く間に5メートル先のアスファルトさえも見えないまま霧中を進むことになりました。景色の変わらぬ視界は体感の時間を何倍にも遅らせてきます。目的の街へは余りに長い。
峠の下では稀なる気象状況にテンションが上がっていましたが、目の前にすると恐怖そのもの。一寸先は闇とはこのことかとも思ったのです。

ほんのそこまでという気分で出発した今回の旅でしたが、静かな猛威を振っている天候にたかが霧と軽視してはならないと思いました。恐ろしく長い恐怖に晒される羽目になるのです。

やっとの思いでたどり着いた街も霧の街。ほんの数時間の運転でしたがここまで長く感じるとは。この土地の人々はこれを霧とも思わず日常として生きているのでしょうか。
車体を降りると明かりに照らされる視界は妙に幻想的。歩くのにも支障は無くワクワクしていてなんだか霧も悪くないな、と。
先ほどまでの恐怖が嘘のように思えてしまったのがとても嫌に思えました。その嫌さを己の脳に刻み込ませました。

次の日。休憩中に晴れたとは言えない丘の上から沿岸の半島を眺めて。地図で書いてあった、走るのには気持ちいいといわれていた岬がスッポリと白い煙に覆われているのが見えます。
昨日のこと思い出し、ああ、あそこに突っ込むのだけはやめておこう、と買ったソフトクリームをなめながら思いました。ちょっとそこまでという感覚は旅程に夢中になっている自分には甘い考えであることを考えたのです。
霧中の旅路は百里とも思える行軍を余儀なくされることを夢々お忘れなきよう。


































































































