帰省をし、lightroomに保存した今年の写真を見返しながら今年が過ぎるのを待っています。ずいぶんいろんなところに行っていろんなものを撮ったものです。
最初に撮ったのは広い広い公園の写真。日付は3月30日。
何の目的もなく、ただ記録のためにシャッターを切った記憶しかありません。
それより1月から3月の下旬になるまで一度もカメラを触っていなかったことに年末の今となって驚いております。それもそのはずでこういった文を書いているのも自分が旅や廃墟、同人や街歩きといったことに少なからず興味を失いつつある自分を否定できないことに起因しております。
電線を撮ったのは4月17日。激しい喜びを放棄する代わりに深い絶望もないことを望んだ一年でしたが文字通り平坦で同じような毎日が続いておりました。これが幸せだったのかと問われるとそれなりに幸せだったのです。
あの広い棚田を撮ったのは4月20日。理由があるとはいえいわゆる観光地っぽいところに出かけていく自分を冷笑した記憶があります。
友人と温泉旅行に出かけたのは5月3日。二人からしか部屋が取れない昔からの憧れの宿に泊まるためで、半ば無理やり連れて行った記憶があります。君もずいぶん普通の旅行をするようになったんだね、と言われてしまいました。
植物園に行ったのは5月18日のこの日のみ。いつかは全国の植物園を纏めた同人誌なぞ作ろうかと画策していたのも遠い過去のようでなんだか情けないものです。
6月15日。地域の伝承や文化にまだ熱意は持てているか。情熱はあるか。
7月13日。危ないことはできなくなり、熱意や情熱は失われつつありますが、失いたくはないという気持ちだけはまだありました。
7月14日。そういった中で快適で穏やかな旅行を続けることがその矜持を保つのに必要だったのかもしれません。
8月15日。尾を引いているモノへの決別や未練の断ち切りや清算にも似た旅行を今年一年続けてきました。
9月22日。再訪や再開を実現し、心の中のわだかまりをスッキリさせることを目的としていた気がしますがなぜか晴れないばかりか迷いは増すばかりです。
11月23日。今年は海ばかり見ていた。それだけは確かで海の写真ばかりあります。
11月30日。古い友人達が結婚した。めでたくもあり当日は楽しかったが帰宅して尚もこのような小さいことで人生を埋めている自分に嫌悪感を感じていた。
12月8日。地上から音速の鳥を見ていた。いつもなら見向きもしないものにレンズを向けたのにはこの一年間今まで撮ってこなかったもの、興味の無かったものに触れてきたからなのでしょうか。そうなれば情熱を失ったわけでも熱意がなくなったわけでもないかと、気持ちを穏やかにまとめて今年のくくりといたします。
来年こそ穏やかならぬ趣味を。激しい喜びも深い絶望もない人生をかつては望みましたがそうでなかった時の方が穏やかではありませんでしたがなんだか気持ちは納得していた気がするのです。