鉄路と道路の渚にて。

初夏の六月。週末は天気が良いという予報が出ていたので趣向を変えて電車に乗って旅をしてみることにしました。

いつもは二輪車に乗って目的地を決め、それらを周りきったら帰るという、ある意味窮屈な旅をしています。でも今回はどこに行くのか知らないあいまいなローカル路線の電車に乗り、目的地も決めず、どこへ訪れるかも決まっていないふらり旅でございます。

そう思い立ったのもこの地に引っ越してきてから退屈な毎日が続き、このまま日常が続いていくのかと典型的な思いがよぎったから。地理も路線図も良くわかっていない初めての場所ならではの旅が今ならできるのではと思ったのです。

車窓の景色が住宅街を抜け、田んぼの青々とした緑が広がります。この路線について知っていることはなんとなく太平洋の方へ抜けるであろうということだけ。そこに至るまでどんな駅に止まるのか、どんな街を通るのか。ほとんど知らないまま始発駅から乗り込みました。

古びた駅舎と年季の入った駅標が後ろに流れていきます。なじみのない難読駅名に期待と不安が混じりつつ、私はここからどこへ連れていかれるのかと考えておりました。

線路わきにはカメラを持ったおじさんたちがよく見受けられます。時たま駅舎にいる人たちもほとんどが去り際に手を振ってくれます。どうやら日常の足というよりかは観光路線のようです。

ふいに車体が止まります。乗っている人たちが皆降りていく。どうやらこの車両はここまでのようです。

知らない駅名。初めての土地なので当たり前なのですが初見では読めるはずもない難読です。

先に進む次の下り列車は一時間半後。こういうのもまた旅情なりと考えてホームや辺りの街を散歩することにしました。

今日はとてもいい天気。冷房は無くても車内は風が吹き込み涼しかったのですが、外に出ると夏を思わせる日差しがカッと照りつけて参ります。

趣のある時計は残念ながら故障中。無粋なスマホの時計を眺めながらあてもなく15分くらいホームをふらふらしていました。

今しがた乗ってきた電車は上り列車として待機しています。すでに乗り込んでいる人たちがいらっしゃいますがやはり観光客が大半のようです。

ホームに並ぶのはきれいなタレントを使った飲料やクリニックの広告ではなくまさにここを走る車両自身たちが顔となった広告たち。これこそこの路線の非日常的で田舎のローカルな部分を押し出しているという証拠であります。

木造の駅標かっこいいですね。

ナウ。デザインも文体もちょいちょい古めかしい。

山車を収納する倉庫。

いつもならば彼のように私は二輪車に乗っているはずなのです。だけれどもこうして二足歩行でてくてく歩いている。

速度があると一瞬で過ぎ去ってしまう興味深い街並みも、渋い風景もゆっくりと堪能できます。これが自家用車などではなく電車で旅をする魅力なのかも。

今ではあまり見かけなくなりましたね、このピエロ。

あちこちに山車の倉庫が見られます。お祭りが盛んな地域なのかもと思いを巡らせつつ歩きます。

古そうな店の前には店主の写真と一言が。町おこしをしていこうという動きがあるみたいです。

ゆっくり歩くこと見知らぬ街の輪郭が浮かび上がってくる。なんといいますか解像度が上がっていくのを感じます。たまには二輪車を捨てて歩くのもいいですね。

駅前を大体一周して戻ってきました。発車まではまだまだ時間があります。

これまた古風な駅舎にはバイカーやサイクリストたちが休憩をしております。派手なウェアでカタコトの外国人が地元の人と楽しそうに話しているのが印象的でした。

再びホームへ。なぜか金魚をドラム缶で飼育しています。このゆるさがローカル線っぽいです。

どこもかしこも古めかしくて最高ですね。

色褪せた写真さえも。

やってみないことをやってみるというのは非常に腰の重いことですがいざやってみると結構楽しいことが多いのです。晴れ晴れとした空の下、暇を持て余しながらそう思いました。

そうこう言っているうちに下りの列車がやってきました。次の駅はどこで降りようか、はたまたどこで降ろされるのか。

次の列車の車内は賑わいがありました。といっても騒がしいわけではなく乗ってる人の大半は静かな男の人。皆androidの手帳型ケースのスマホをいじっているか、食い入るかのように窓の外を見ている。所謂「鉄オタ」という人たちでしょう。

そして10分停車した駅のホームで図ったかのように皆焼きそばを買って黙々と食べているのです。

彼らを観察しているうちに終着駅に付きました。またしても次の列車まで時間があるので降りて周辺を歩きます。しかし時間的にもここから今来た路線に乗って引き返すことになるのだなぁと寂しい思いをしつつ街を見て回ります。ここもとある武将が活躍したことで有名で、歴史のある街として押し出しているみたい。

自らの存在をアピールする大手門。この門をくぐってこの街を散策することにします。

日陰で眠る黒猫。隣に座ったら一目散に逃げられました。

なんとも特徴的な校舎の小学校。奥の校舎も、時計台も、手前の三角屋根の良くわからない別棟も、他とは違うぞという雰囲気を醸しております。

遠くにはこの街を象徴するお城も見えます。今でこそこういう建物たちの魅力やすばらしさが分理解できるようになったのですが、子供の頃過ごしたならば何もない田舎町と思って毎日を生きるのでしょう。

下調べをしない無計画な旅だからこそ良きものに偶然出会った時の喜びもひとしおというものです。前々から知っていて念願の出会いというのも悪くはありませんけれどね。

日陰を求めて神社を抜けます。

あっというまに日差しの下にさらされますが、今日は風が吹いていてとても気持ちがいい。参道の鳥居をくぐって吹き抜ける涼風がいくらでも歩かせてくれます。

後に訪れた資料館で見た写真ではここの鳥居は木造でした。資料館のおじさんが今は御影石になってしまったけれどね、昔から鳥居があったんだよ、といっていました

次に訪れた時にはこの旅館に泊まろう。

古そうですが人の気配を感じます。どうやら今でも営業している様子。

街の大通りにやってきました。

資料館前の街の地図。こういう地図を見ると今しがた通り過ぎてしまった面白そうな施設をみる残念さと、これから行こうとする道にある興味深い建物の期待とが入り混じって不思議な気持ちになります。

とても気になる建物。

外はレトロな雰囲気なのに中はお花屋さん?ドライフラワー屋さん?雑貨屋さん?のようなモダンな風景が垣間見えます。次来た時には是非とも訪れたいものですがそろそろ次の電車の時間が迫って参りました。

間一髪で帰りの列車に乗り込みます。今度はボックス席のようで一人の空間を堪能しながら帰路につきます。

そう思ったのもつかの間。とある駅で次の列車は一時間40分後の足止めを食らうこととなりました。ですがその頃の私は足止めなどとは微塵も思っておらず、また新しい土地を開拓できる理由ができたと意気込んでいたのです。

今度の地は今までこの路線で降りたどの地より田舎の様子。駅舎の小ささや周りの雰囲気がそう語っております。

地図。示し合わせたわけでもないでしょうにどうして田舎の地図というのはデザインが似るのでしょう。妙に写実性のある道や川とか、建物を長方形で表すところとか…それとも請け負う製作元があるのでしょうか。謎は尽きません。

西と東にある神社と駅に焦点を当て、歩いて行ってみることにしました。

西の神社を目指して炎天下を歩くこと数十分。冷ややかな夏木立の中ひっそりと佇む神社でした。

樹齢のありそうな神木。

小高い場所に建てられた境内からは眼下の集落が少しだけ垣間見えます。

今まで歩いてきた初夏の暑さをひと時だけ忘れさせてくれる冷涼な神社です。

夏の日差しから木の影に守られた涼しい階段を下りていく際、下からとても心地よい風が吹いてきます。おいしいものを食べた時の多幸感、美しい廃墟に出会った時の退廃的な感動。それとは全く異なる穏やかな幸福です。

大きな屋根の並ぶ集落。たった2時間だけしか存在していなかった人間にはこの地に生きる人々の営みは想像することしかできません。

東の駅を目指して再びホットプレートのようなアスファルトを歩きます。

まったくの偶然ですが先ほど降りた最初の駅で見かけた派手なウェアの外国人が自転車で通り過ぎていくのを見かけました。私が電車に乗って折り返してくるまでの間に強い日差しの中、彼はここまでやってきたのです。見知らぬ人の旅程との邂逅に少し嬉しくなりました。

東の駅。先ほど止まって降りた駅に至るまでに通った駅ではあるのですが紫陽花が何ともきれいでもう一度見たくて徒歩で戻ってきてしまいました。

梅雨の篠突く雨の中だけが紫陽花の居場所ではありません。快晴のカラッとした日の下でもきれいです。

列車が通らなければ乗る人も撮る人も居ない。静かな駅でした。

再び降りた駅に戻るとちょうど帰りの電車が止まっていました。中にはチラホラ同じ方向に帰るような人達が。

やっぱりどことなく鉄道が好きそうな雰囲気の人たちばかりです。そんな人たちに混じって木造駅舎の写真を未練がましく撮っていました。私もまた鉄オタということなのでしょうか。

日差しで火照った顔を天井で首を振る扇風機で冷やしながら今回の旅路のことについて振り返っておりました。

動いている電車自体に興味はありません。興味があると口に出して言えるのは二度と動くことのない車両や朽ちた鉄路、歴史的価値のある駅舎や廃止された廃駅ばかり…

名作鉄道ミステリー、『月館の殺人』の言葉を借りるなら、「考古学テツ」という分類になるのでしょうか。でも彼らほど鉄道の歴史を調べているわけでも鉄路の変遷に博識な訳でもないのです。

ただ乗って訪れた集落を歩き、その建物や事象に感嘆する。自分は「テツ」ではないという傲慢な自尊心の前には「旅人」であるという矮小な誇りがありました。

向かいのロングシートに人が座るまで撮っていた車窓。暗かったり緑一面だったり西日が差し込んでいたり。流れるように変わる風景を前に「テツ」もまた広い意味での路線を楽しむ「旅人」なのだと感じます。

時刻は午後5時43分。夏至が近いこの季節はまだまだ明るい時間ですが、終点へ着いたことで旅が終わったという喪失感や満足感とが入り混じる何とも言えない気持ちになってホームに降り立っています。

車両の顔を撮ろうと群がる人々を怪訝に思いつつもその車両の周辺施設が持つ魅力に気づかずにはいられないでいる複雑な気持ちと共に、結局は今回の列車の旅はとても良かったと満足な気持ちを最終的な結論で締めくくって帰るのでした。