石の意思と空廃墟。

さくさくと冬枯れの落ち葉を雪を漕ぐように歩く。道なき道の斜面には乾いた木の葉で覆われ、登るときは靴に絡みつき、下るときにはソールを滑らせてきます。どうしてそんなとこを歩くことになったのか、写真を撮っていたのにもかかわらずあまり覚えておりません。

確か何かの遺跡だか史跡を見に行った時に、何かがありそうな脇道を見つけ、どんどん先を進むうちに脇道が山道に、山道が獣道に、獣道が道なき道に...ということの顛末だった気がします。その日の記憶とカメラのメモリーに強烈に残っていたのは足元をどこまでも覆う葉っぱを歩いた過程などではなく、それらに囲まれて聳え立っていた石造りの建物たちでした。いつまでも子供のような好奇心を反省しつつも、感じた勘と見立てだけは間違ってはいませんでした。

神殿のような石積みですが、どうにもちょっとこじんまり。明らかに使われている様子はなく、放置されるに任されて。辺りにこんな奇妙な建物が乱立する山の一帯まで来てしまっておりました。

斜面を登った先の開けた場所はカルデラのように穴が開き、中には少し大きめの屋根のない建物がありました。木々や葉に埋もれた四角い石は苔がまとわりつき、人工物であるにもかかわらず、自然に作られた無機物のようにも感じさせます。

屋根は無し。扉も無し。中には家具や生活の色を残すようなものは一切無しの空虚な空間。フカフカでカサカサのベッド代わりの落ち葉と、牢獄のような窓枠。巨人にめくられたように灰色の空が見える天井があるだけ。

ところどころ建築的な装飾がありつつも全体はシンプル。用途が決められて作られていそうで、結局未完成な感じ。昔、遊んでいたブロック玩具で作っていた家を思い出します。壁面を構成するパーツも扉のパーツも屋根のパーツも全く足りないとこういう建物が出来上がるのです。

なぜパーツが足りなくなるかというと他の壊したくない家でそのパーツを既に使ってしまっているから。そうやって作りたかった新しい家の可能性や完成度を狭めているとは気付かなかったのです。石造りの建物に見当たらなかった扉は山の斜面に場違いかのようにへばりついていました。

ちょっとしたトンネルの先にはまたすぐ茶色の山肌。何のための通路なのか。何のための扉なのか。疑問は浮かべど全く見当違いで虚ろな考えだけが浮かんでは消えていきます。

またある他の石の扉は半開き。落ち葉をかき分け引きずりながら開けるのもなんだかもう気が引けてしまって隙間から向こうを覗くだけにしました。

私はいつの間にやら好奇心はあっても創造力を失ってしまったみたいです。