廃校の褪せゆく二色にもう一色。

あれほど元気だった植物たちが段々と色彩と体積を減らし、葉を落としていく秋。そんな草木を纏うちょっとした小高い丘の上に小さな小さな廃校があります。

それなりに広い校庭と年季を思わせる壁面の板と、整然と並んだ窓ガラス。昭和の時代を生きた校舎という風情がありありと感じられます。

正面から見ればまるで民家みたい。

民家と違うのは扉や柱の褪せた色と昔何か文字が描かれていたらしき看板が掲げられているところ。自分自身はそんな校舎には通っていないのに学校だとわかるのもなんだか不思議です。

門柱の字もすっかり剥げてしまって。インターネットという一種の古文書が無ければ私もこの学校の名を知ることはありませんでした。

なぜ正面が民家のように見えるのかというと全体の3分の1だけが全く違う素材で建てられているから。おそらく教室が足りなくなって建て増しをしたのでしょう。窓や扉は同じですからリフォームかもしれません。どちらにせよ当時はこの建物に需要があったということを示しています。

辺りの野山が色を失っていく中、この校舎はきっぱり分かれた特徴的な白と黒のツートンカラーだけがいつまでも保たれています。

廃校とはいっても校庭にゲートボールの施設があったり、使われてそうな小屋はありましたから、全くの無人ということではなさそうです。それでもこの古い古い校舎に学生が通うことはきっとおそらくありません。

裏手の門は無機質な鋼鉄パイプが塞いでいます。その先を見たいという好奇心と共にヒヤリとした恐怖を覚えました。

廊下は一本道で板張り。やっぱり建て増しじゃなくてリフォームだったみたい。

秋分の日も過ぎて日が短くなった今の時期はもう西日らしき眩しい陽が差し込み始めていました。

教室の窓からはオレンジ色の光が埃のかぶった室内を照らしています。紅葉する葉で透かされた陽の光は何とも表現しづらい温暖な色になります。何もこの季節だからって全ての事象が彩度と生気を失っていくわけではないみたい。

校庭には栴檀の実がたわわと成っていました。花が咲いたかのように豊富に実る黄色の実はとても華やかで秋らしくも、寂しい雰囲気を捨てきれません。それでも。

色とりどりの子供たちの声が戻ってくる日がもしも来たらなら…この時代を写真に撮った意味もあるだろうな、と思います。