東北と北関東の間に位置する後沢集落。ここには日本が忘れかけた原風景そのものが残されています。訪問時は冬の始まりで、雪がチラホラ降り始めてきていました。
集落と地域の主道路を繋ぐ唯一の橋を渡った瞬間から寒々しい雰囲気。たった一人で道端を往く住人らしき腰の曲がったおばあさんが会釈をしてきたのをよく覚えています。よそ者であることを肝に銘じて会釈を返しました。
でも決して廃村とかそういう雰囲気ではなく、冬の枯れた木々と雪景色が生む哀愁漂う寒々しさです。私はこういう集落がたまらなく好きです。
こんなにも曲家が連なる集落というのも珍しいのではないのでしょうか。特筆すべきはその観光っけの無さです。観光客を呼び込もう、という気概がみじんも感じられない。
それもそのはず。ここは今もその家々に人々が住まう里であり、観光地ではないのです。菜の花が咲く風景が代表と言えば代表なのですがあまり知られていない様子。観光っけの無さが「かくれ里」としての集落を守ってきたのでしょう。
窓先につるされた干し柿がその息遣いをありありと示してきます。今時軒先にダイコンや干し柿をつるす家というのもあまり見かけませんね。
昨今は電柱の地中化を進める動きがあるようですが私は電柱がある風景も日本のある一時代の風景の一つであると思うのです。景観を乱すかどうかは…見たあなたの感情にゆだねられています。
おそらく集落の最奥地に位置する神社。あまりの寒さに鳥居をくぐる余裕はなく、一刻も早く南に向かおうとばかり考えていました。今思えば参拝すればよかったなぁと思います。
この集落に来た理由というのがある外国人が日本の原風景が今も残る集落として著書に書き記していたから。その本の前書きに「皆が知らないものは伝えたいし、伝えるとたちまち汚されてしまうのは、ままならぬ世の中だと思う」という言葉が残されています。
全くの同感です。訪れて感動し、あまり知られてないであろうこの集落を絶やしてはならないと意気込んでこの集落の雰囲気が良かったよ、と伝えたところでそれを見て訪れる人々が地域の人々の生活や文化を犯す人たちとも限らないのです。そして私自身もその一人になっていないという保証はないのです。そうならないための努力をしてゆくつもりです。
だからこそ私はこのブログでは場所の名前は伏せますし、わかる人にはわかる名づけをしております。
出口には水車小屋がありました。絶えず流れる水が水車を回しております。
水を受けるたびにカッコン、カッコンと鹿威しのように鳴っていて、辺りにはこの音だけが響いていました。
この水路の先も気になりましたし、集落を見下ろす高台もあったらしく行ってみたかったのですが己の耐寒性の無さに敗北。長居をしては邪魔になるという思いもあってこの集落を足早に去ったのでした。
帰り際にはお昼を告げるメロディーが流れていました。確か海外の交響曲系の何かで、聞いたことはあるはずだけれど名前までは思い出せない。帰ってから調べようと思ったらそのメロディーをすっかり忘れてしまいました。
誰か訪れたら教えてください、とも思いましたが…いや、やっぱり結構ですと思いなおしました。いつか菜の花の季節にまたひっそりと聞きに行きますから...
あの著者も言った通り「ままならぬ世の中」ゆえ、この場所には是非とも行かぬよう心からのお願いを申し上げます。