東京のとある駅前の短いアーケードの中。その喫茶店は静かに佇んでいました。
其の名も邪宗門。敵対している宗教に対して名付けられる名称ですがなぜ喫茶店の名前に付けられているのやら。
入店した時から扉の外と内で明らかに異なる雰囲気が漂っているのを感じます。それこをが喫茶店の魅力であり、私が大衆カフェでなく個人喫茶店に入る理由でもあるのです。
壁かと思われるほどの急な階段。客席は主に二階にあるようです。ちらりと見えた一回の厨房(というにはあまりに小さく狭い)の中から中年の男性が会釈をしてきました。
客席につけば眉雪の女性が席への案内と注文を取ってくれました。様々なメニューから悩みに悩んで珈琲フロートを注文します。
珈琲フロートが配膳されてきました。この珈琲フロートというのは無難なようで攻めた選択でもあるのです。なぜならアイスコーヒーの風味と共にアイスクリームの仕様も知れる攻守一体の注文であるからです。アイスクリームを一から作っている喫茶店というのはまずありませんから、どこのアイスクリームをフロートに使っているのか見極められるのです。
とはいえ、味わっただけでどこのアイスクリームかどうか見極めるだけの舌は持ち合わせていないのですが。見極める技量があるだけの人の受け売りでございます。
一度注文するとゆっくりとその店内を見渡すゆとりが持てました。改めて見てみるとその異様でありつつも統一された装飾に目を見張ります。
メニューでさえこの年季の入りよう。ボロさと味のある雰囲気の中間を地で征く現役のメニューです。もしこの店に行くことがあれば、商品だけで閉じずに、そのあとのページも是非見てくださいね。
席の傍らにはカーネイションの造花が飾られています。枯れない美しさを保つためには最適な選択です。
ちょっと離れたところにはドライフラワーも。
今時は珍しくなってしまった。煙草の吸える喫茶店。その時代に取り残されたような翡翠の灰皿がこの客に仕事はないことを悟っているかのようであります。
壁や客席にはありとあらゆる種類の本が乱雑に積んだり並べられたりしています。PCやスマホが無くてもそれらの本を開かば時間がつぶせること間違いなし。私もある一つの本を試しに読んでみました。
すてきな喫茶店をその本で見つけました。次時間があらばここに行こう、とそんな気概が生まれます。今日見つけた喫茶店から次なる喫茶店へ。妙な縁とはこういうものをいうのでしょうか。
壁にかかった時計は8時を指しています。時計としての役割はもはや果たしておらず、たとえ止まっていたとしても装飾としての役割は万全です。
灯り。店内の細かい部分でさえアンティーク調で粋でカッコいいですね。
誰もお客さんが居なかったので窓際の席にも寄ってみました。眼下にアーケードの歩道が見えます。
この旧時代の灯りが現実と喫茶店を分ける光明なのでしょう。LEDや街灯では成しえない所業であるというのはその椅子に座って見なければわからないのです。
ただでさえ少ない客席が混んできたのでほどなく退店。先ほどまで見ていた席がアーケードから見えます。こうしてみるとはやり壁を隔てた先ほどまでの空間と今いる空間とでは別物であることがしみじみと感じられます。
外にも在ったのかと改めてみるメニュー表。やたら値段の高い珈琲はそれだけおいしいのだろうか。次は紅茶もどうだろう。次来た時の想像が膨らみます。
後日気になってお店の由来を調べてみました。なるほどと思う共に、いつまでこのお店があるのか心配になってしまったのも事実です。でも開店している限りまた来ることでしょう。
こうして店構えを見ると現実と隔離された空間であるということをさまざまと感じさせられます。仕事のちょっとしたスペース確保、旧友との交流、日常のちょっとした憩い…人々の訪れる理由は様々だとは思いますが、明らかに今いる世界とは異なる空間であることは間違いありません。
そんな体験がしたくなったらまた来よう、そんな風に思える喫茶店でした。