東京のはずれ。駅を降りた先で偶然よさげな商店街を見つけてふらついていた時のお話です。
入口とその長さだけは立派なアーケード街。ひとたび中に入ればよそ者の自分にさえわかる寂れっぷりです。
時代の流れによるものでしょうか、それとも昨今の感染症のせいでしょうか。あたりは閉まったシャッターばかりが目立ちます。
その寂れ加減に引き寄せられるようにそこそこ長いアーケード街を端から歩いていたのです。天井の明り取りから注ぐ太陽光だけが気張って元気に見せているようにさえ思えます。
人々の足取りによる摩耗か、それとも鮮魚店から流れ出る水によるものか。排水溝の蓋さえ年季を感じさせる錆びであります。
とはいえやっているところはやっている。店主たちは活気あれども周りの閉まっている店の多さからか撤退した店舗の多い歯抜けの百貨店様は否めません。
看板のフォントも、通りを歩く人間が見やすいようにせり出した看板もこんなにも素敵だというのに。
初めて来た通りで全く馴染みなどないというのにこんなにも哀愁を感じさせる感情が人間にはもともと備わっているのだと気づかされます。その哀愁に魅力を感じながらも一方で活気のあったころを見てみたかったというわがままな感情もふつふつと湧き出るのが私の勝手なところです。
はずれとはいえ東京。栄枯盛衰には抗えぬ運命を感じながら、また五年か十年後あたりにきてみようと思いました。その時に益々寂れた商店街に悲しくなるのか、活気を取り戻したそれに安堵するのか、はたまた存在自体消え去って虚無感にさいなまれるのか...先の見えぬ今日では何とも言えません。