朽ちてなお見らるる廃醫院。

棚の奥にしまわれた新品の手帳がカビていく様より使い込まれ、革が鞣された手帳の方が味があるのと同様に、ただの廃屋よりも何かしらの仕事をしていた廃墟の方が魅力的であります。

ここはかつての産婦人科医院。今は朽ちて荒らされるに任せ、崩壊の一途を辿っています。

生前の仕事ぶりが感じられる残留物。

病室。畳を敷いたベッドが時代を感じさせます。

廊下に日差しが差し込みます。アルミサッシの窓からの日光と比べてずいぶんやわらかい気がするのも廃墟の見せる魔力なのでしょう。

非常に状態がよろしいミシン。

スマホiPhone派です。

分娩室。出産の感動を味わったことのない人生においてはじめての入室は廃墟でした。

数々の母と人の思いがあったことでしょう。残されたものから想像することしかできませんが、逆を言えば想像することができるのです。無くなってしまえばそれすらも叶いません。

今を生きる我々にできるのは先への創造の他には過去の保存と記録だけなのです。それこそが私にできる行動の一つであると思い、自分の訪れた場所を文字として残すこの活動もその一つです。

数多の建築物が壊され、また作り替えられる現代において今もなお残り続けて当時の記憶を伝えてくれるモノたち。その時代を生きなかった者としてその一端に触れられることが嬉しくて悲しくて仕方がありません。

 

踊り場から見える空がとてもきれいな日でした。