歩みは進めど、筆は進まず。

三月上旬までにどうしても完成させなければならない文章がありまして。文豪のような気分になれると聞き、ここで書き上げるぞという気持ちと、もうどうにでもなーれという気持ちとの半々にこの地にやってきました。

ここはかつての文人たちが泊まった愛したとして有名な温泉地。それでも熱海や箱根と違ってずいぶんと静かなことが特徴的です。

通りを歩く人はほどんどおらず、ただ川の流れの音だけがごうごうを響きます。

そしていつも温泉地に来たときは夕暮れ時に歩くと決めております。

青く黒くなりかける空の下、暖色系の灯りが旅情を誘うからです。

写真で撮っても独特の色味は伝わりません。不思議な温度の夕風と通りに一人の孤独と共に見てこそ初めて認識できる色だと思います。

書かなきゃいけない文章のこともほっぽらかして、気分だけは休養に来た文豪気分で夕暮れの通りを歩きます。

とはいっても小説などあまり読まないものですから。夢十夜という文字を見て、国語の教科書で見た気がする...なんだっけ…程度の知識です。

河原に並ぶ電灯と段をなして流れる川が温泉地に来たという気分を向上させてくれます。

さっきまでは手元がみえるほどだったのに見る見るうちに暗くなってきました。

梅が七分咲き程度。狙った日に満開にできるほど順風満帆な人生は送っておりません。

今風の立ち飲み屋。古い温泉街ですが若くて一人でも入りやすいお店があるのはありがたいことです。クラフトビール一杯と、今宵のご飯どころの情報を得てさらに街を下ります。

川に沿って通りが作られる街というのは迷う心配がなくていいですね。散策もしやすい。

左右を見れば老舗の高級旅館がずらり。

名のある文豪が泊まった宿として有名です。

文人ゆかりの宿が憚るばかり。

現実逃避なんてしてないでそろそろ戻らなきゃならない時間になってきました。

当日の宿。決して高級なお宿ではないけれど立派な唐破風の入り口や温泉は格別です。なにより筆の進みそうな雰囲気が気に入りました。爬虫類の多さだけが難点です。

旅情に浸った後は涼しい広縁にて。オレンジ色の光にあてられて自分の体験を記述する別の文章だけがスラスラすすんでいくのでした。