時代の波は呑んべぇのレムリアに寄せて。

東京某区。下町の情緒あふれる駅前にて何とも雰囲気の良さげな路地が広がっています。ふらりと立ち寄ればそこは昭和の世界。

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頼りなさげな木材に支えられて古臭い看板が堂々と掲げられています。

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外の通りや他の店とは一線を画すような重厚な扉が並んでいます。それぞれのバーやスナック、居酒屋は隔離された世界を持っているのでしょう。

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古き良き店名の看板。

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この眼前にのめり込むようにせり出す看板がまた良いのです。昨今の商店街を歩いていてもまずお目にかかれません。狭い路地裏横丁だからこその目線に配慮された配置と言えましょう。

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真昼間だというのに垂れ下がる電灯の光や店名の妖しさは現世とは思えぬ妖艶さを包含しています。

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路地裏に来ると必ずと言っていいほど見る植物はシェフレラやガクアジサイです。狭いとこでも育てやすいとかそういった理由があるのでしょうか。無機質で古めかしい通りを彩る鮮やかな緑が大好きです。

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そもそもなぜ私がこの地に足を運んだかというと、駅前再開発により、もうすぐこの界隈も取り壊されるとのウワサを聞いたから。案の定界隈の半分はすでに解体済みで、目の前にはもう工事の白い壁が迫ってきていました。

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これほど悲しい可視化された時代の波があるでしょうか。すべてを飲み込む凡庸で無機質な白壁がこんなにも恨めしく思うとは。

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それぞれの看板や扉の意匠や細工、時代を感じられる装飾というものは再開発の駅前にはあるのでしょうか。所謂雰囲気のいいパステルカラー一色のの駅前になってはいないでしょうか。今の通りを歩く現代人には想像もつきません。

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平成生まれの人間が生きたことのない昭和を感じた路地裏横丁。思いれもかかわりもなかったはずのその雰囲気の消失をちょっぴり残念に思うのです。