一献が甘口辛口為す文化。

一口にお酒といっても好みは様々。まずはビール、やっぱりワイン、南の人間ならば焼酎…人によっては目がない物やちょっと苦手なお酒もあることでしょう(私も焼酎が飲めません)。その中でもお米から作られる日本酒というものは大好きな人と苦手な人の差が激しいように感じます。

ここは新潟県。言わずと知れたコメどころです。お米の産地、関東以北には多くの酒造がありますが、中でもここは酒造としての工場の機能と日本酒の文化を保存、発信する交流所の機能の二つを兼ね備えた施設として目を見張るものがあります。

もしもあなたが日本酒がお嫌いなら。飲まされるわけではないですから食わず嫌いをせずにこの施設を見に行ってみてください。仮に飲めないままでも大丈夫です。あなたの飲めない日本酒がどのように作られてどのように活きてきたか知るだけでも日本酒を楽しむことができるのですから。

入口からして大きな門。酒蔵としての風格とモダンな雰囲気が見事に両立しています。

酒蔵であることを示す杉玉。日本酒の仕込みと同調して緑から茶色に変化していくそう。なんとも粋な飾りです。

敷地の端には四季折々の草木が楽しめる枯山水の庭があります。なぜ枯山水なのか、という理由も聞けたことで人々が持つジンクスといいますか、日本人特有の「縁起」のようなものを感じられました。ただの庭ではなく蘊蓄が聞ける庭なんてものは面白いものです。

工場内部へ。工場見学というと大規模なラインで次から次へと流れてくる製品を眺めるというのが一般的です。

しかし、日本酒の酒造の現場はそうもいきません。年によって変わるお米の出来や温度や湿度で製品はがらりと変わります。機械の手が介入するスキマはあまりなく、仕込みの大半が人の手で行われるからです。

ですから工場内部もメカメカしい機械が並んでいるというよりかはこじんまりとした木造の道具やタンクが主です。

それというのも日本酒造りというのは削って精米したお米を蒸して麹をかけて…こんなお勉強をこのブログでするにはあまりに野暮ですね。

ですがあなたもこの地に足を運んでその工程を間近にすればお勉強などとは少しも思わないはずです。米から作る酒の文化というものを感じられること間違いなしです。

この酒蔵で特筆すべきは生原酒を缶で売りだしたこと。生原酒というのは日本酒の工程の一つである火入れと加水をしないもの。あまりに革新的だったため、当時の社長は周りの酒造から頭がおかしくなったのかとまで言われたそうです。

それでもそれらの工程を省いた商品は大ヒットを記録しました。先進的な考えとそれを可能にした缶入りの販売がこの酒造をここまで導いたのです。

銀のタンクの奥に今でも木の桶が置かれる工場は現代の技術革新と古くからの伝統が息づく様をありありと体現しています。

工程の一つになぞらえたネーミング。なんとも「粋」じゃないですか。

一介の施設としては膨大な書庫量。日本酒に関わる書物だけでなく、それにかかわる文化、歴史、風土...様々な本が保存されています。

だからこそ「文化研究所」なのでしょう。己の分野だけでなくそこに関連する事象を含めてこその「文化」です。

見学時間では背表紙を見ることしかできませんでしたが、あまりに惜しい。一か月位貸し切って読みふけっていたいものです。

勿論活字から得られる情報だけではありません。展示された文化財レベルの品々は、酒という魔の水がもたらす効能が日本の歴史を表立って、時には陰ながら牽引してきたことを示しています。

そういったものをひとまとめに見られる施設として最高の場所です。日本酒の文化を知るには何よりわかりやすいことでしょう。ちょうど、私が訪れた時も金髪の外国人一行が、興味ありげに、展示をのぞき込んでいらっしゃいました。グローバルな世界です。

揺らすと雅な音が鳴る徳利や、欲張って注ぎすぎると全部下から漏れてしまうお猪口…日本人の気持ちに根底にある言い表せない感情が酒器となって体現しています。

日本人の主食であるコメをわざわざ削って作る日本酒。考えによってはもったいないことかもしれませんがそれによってでしか得られない甘さや辛さがあると思うと、不思議な感じが致します。

そんな言い表すことのできない味覚を日本酒を飲むことが好きな人もそうでない人も、「文化」として楽しむことができる良い場所でした。

無理にとは言いませんが、楽しむことができたなら。お酒は様々ですからまずは一口。

 

 

暗闇の宙に浮かぶ、夢の島。

人と遊びに行くとなり、水族館と動物園どちらがいいと聞かれたらあなたは何と答えますか?異性とロマンチックな雰囲気を過ごすなら水族館もいいですし、家族で普段見られない動物と触れ合える動物園も捨てがたいですね。

ですが第三の選択肢として植物園があります。なんだか質問の答えになっていないような気もしますがそう言うだけの理由と魅力が植物園にはあるのです。

ここは東京にある海に近い場所。大きなガラス張りのドームが青空にひときわ映えます。ここまでならば一県に一つはある普通の植物園ですが、ここは年に二日ほど、夜間の営業を行う珍しい植物園なのです。

余りにも早く着きすぎて辺りを散歩。この場所はプールやサッカー場があるスポーツ施設が併設され、東京オリンピックのアーチェリー会場となったことでも有名です。その日は射距離70m用の的が並んでいて、私がアーチェリー競技現役の頃はこんな立派な施設はなかったなぁと感傷に浸っておりました。

辺りがオレンジ色になり、ドームの中がライトアップの準備を始めました。夜の植物園はもうすぐ開園です。

薄暗くなったと思ったら暗くなるのはあっという間。入園する頃には夜の帳がドームを包み、何とも幻想的な植物園となっていました。

入園料250円。非現実的な空間を楽しむ料金としてはあまりに安すぎます。

昼間の明るい園内では決して味わえない幽玄さ、それでいて真夜中のジャングルを思わせる濃密さ。

これは夜にだけ花を咲かせるサガリバナ。一夜明けると散っていってしまいます。こういった珍しい植物が見られるという植物園本来の目的だって忘れてはいけません。

これこそが水族館にだって動物園にだって負けない植物園の魅力なのです。

普段見慣れている竹だって種が違えばへぇーとなりますし、こういう場所で見ることで幻想的なスポットともなり得ます。

勿論ロマンチックな風景だけでなく、ただの蘭でさえ人食い花のような雰囲気をも醸す場面も。夜の為せるマジックともいえる雰囲気のコンバーターが最大の魅力です。

私が好きなとあるインストCDがありまして。それには歌詞もないのにブックレットが付随します。そのブックレットには音楽から想起される物語がついているのです。

今より少し未来の宇宙旅行が味わえるくらいの時代。とある少女二人が夢の中で棄てられた動植物実験宇宙ステーションを探検する物語です。

むせ返る熱気と窓の外の暗い宇宙空間。あの物語の風景というのはこういうものなんだろうなという想像がかき立てられる光景です。

ノンフィクションでない限り、お話の中の風景が目の前で味わえるということはめったにありません。それがSFや今流行の異世界というものなら尚更。だからこそ人はその場所を求めて聖地巡礼やテーマパークといったものの場所に足を運ぶのではないのでしょうか。

ここもそういった場所の一つである気がすると共に、その物語を知らなくとも植物を楽しめる幻想的で学術的な空間として存在しています。

途中の扉から出られるベランダのような場所からは東京の夜景やスカイツリーが。普段見慣れていてもあの室内から一瞬離れただけのこの夜景は空想的なものにも見えます。

山に入っても杉林や広葉樹が幅を利かせる日本においては、足から頭まで緑で埋め尽くされるジャングルは想像するかテレビで見るしかありません。各地から集め、成育し、保存している植物園だからこそ体験できる密林の空間です。

勿論、普段食べ物として知っている植物などがどのように生えているか知るという学びの場としての役割も忘れてはいけません。理科の観察ができるというのがそれらの施設の本来の目的なのですから。

昔はここはゴミの埋め立て場でした。それが今やガラス張りの中とは言えジャングルが成育する空間になるとは誰が予想したでしょうか。

日本の経済発展を説きたいわけではありません。東京の端っこにこんな施設があるよとあなたに知っておいてもらいたいだけなのです。デートに使うか校外学習に赴くか空想発展の場とするかは訪れた人次第です。

タレントがハンターする南米の密林ジャングル、雑誌で理想の部屋として紹介されるボタニカルルーム、アニメの異世界雑貨屋…話や映像、写真や教科書の中では見られたとしても自分が身を置くことはまずない環境がここにはあります。

それがこの日のように太陽の光がない時間帯なら尚更、なんとも不思議な景色が広がっています。

外にでて改めて中を覗くとガラスフレームが織りなす様はまさしく宇宙実験場。辺りが暗いだけに室内の灯りが一層まぶしく見えて、今見た植物たちがあの物語の中の宇宙ステーションのサンプルだったかのような感覚を抱きました。

近未来的なドームの中で行われるほんの少しの夜の間だけ見られる風景。人工的に作られた地にありながら宙に浮かぶ、夢の島として佇んでいる気がしてならなかったのです。

鉄路と道路の渚にて。

初夏の六月。週末は天気が良いという予報が出ていたので趣向を変えて電車に乗って旅をしてみることにしました。

いつもは二輪車に乗って目的地を決め、それらを周りきったら帰るという、ある意味窮屈な旅をしています。でも今回はどこに行くのか知らないあいまいなローカル路線の電車に乗り、目的地も決めず、どこへ訪れるかも決まっていないふらり旅でございます。

そう思い立ったのもこの地に引っ越してきてから退屈な毎日が続き、このまま日常が続いていくのかと典型的な思いがよぎったから。地理も路線図も良くわかっていない初めての場所ならではの旅が今ならできるのではと思ったのです。

車窓の景色が住宅街を抜け、田んぼの青々とした緑が広がります。この路線について知っていることはなんとなく太平洋の方へ抜けるであろうということだけ。そこに至るまでどんな駅に止まるのか、どんな街を通るのか。ほとんど知らないまま始発駅から乗り込みました。

古びた駅舎と年季の入った駅標が後ろに流れていきます。なじみのない難読駅名に期待と不安が混じりつつ、私はここからどこへ連れていかれるのかと考えておりました。

線路わきにはカメラを持ったおじさんたちがよく見受けられます。時たま駅舎にいる人たちもほとんどが去り際に手を振ってくれます。どうやら日常の足というよりかは観光路線のようです。

ふいに車体が止まります。乗っている人たちが皆降りていく。どうやらこの車両はここまでのようです。

知らない駅名。初めての土地なので当たり前なのですが初見では読めるはずもない難読です。

先に進む次の下り列車は一時間半後。こういうのもまた旅情なりと考えてホームや辺りの街を散歩することにしました。

今日はとてもいい天気。冷房は無くても車内は風が吹き込み涼しかったのですが、外に出ると夏を思わせる日差しがカッと照りつけて参ります。

趣のある時計は残念ながら故障中。無粋なスマホの時計を眺めながらあてもなく15分くらいホームをふらふらしていました。

今しがた乗ってきた電車は上り列車として待機しています。すでに乗り込んでいる人たちがいらっしゃいますがやはり観光客が大半のようです。

ホームに並ぶのはきれいなタレントを使った飲料やクリニックの広告ではなくまさにここを走る車両自身たちが顔となった広告たち。これこそこの路線の非日常的で田舎のローカルな部分を押し出しているという証拠であります。

木造の駅標かっこいいですね。

ナウ。デザインも文体もちょいちょい古めかしい。

山車を収納する倉庫。

いつもならば彼のように私は二輪車に乗っているはずなのです。だけれどもこうして二足歩行でてくてく歩いている。

速度があると一瞬で過ぎ去ってしまう興味深い街並みも、渋い風景もゆっくりと堪能できます。これが自家用車などではなく電車で旅をする魅力なのかも。

今ではあまり見かけなくなりましたね、このピエロ。

あちこちに山車の倉庫が見られます。お祭りが盛んな地域なのかもと思いを巡らせつつ歩きます。

古そうな店の前には店主の写真と一言が。町おこしをしていこうという動きがあるみたいです。

ゆっくり歩くこと見知らぬ街の輪郭が浮かび上がってくる。なんといいますか解像度が上がっていくのを感じます。たまには二輪車を捨てて歩くのもいいですね。

駅前を大体一周して戻ってきました。発車まではまだまだ時間があります。

これまた古風な駅舎にはバイカーやサイクリストたちが休憩をしております。派手なウェアでカタコトの外国人が地元の人と楽しそうに話しているのが印象的でした。

再びホームへ。なぜか金魚をドラム缶で飼育しています。このゆるさがローカル線っぽいです。

どこもかしこも古めかしくて最高ですね。

色褪せた写真さえも。

やってみないことをやってみるというのは非常に腰の重いことですがいざやってみると結構楽しいことが多いのです。晴れ晴れとした空の下、暇を持て余しながらそう思いました。

そうこう言っているうちに下りの列車がやってきました。次の駅はどこで降りようか、はたまたどこで降ろされるのか。

次の列車の車内は賑わいがありました。といっても騒がしいわけではなく乗ってる人の大半は静かな男の人。皆androidの手帳型ケースのスマホをいじっているか、食い入るかのように窓の外を見ている。所謂「鉄オタ」という人たちでしょう。

そして10分停車した駅のホームで図ったかのように皆焼きそばを買って黙々と食べているのです。

彼らを観察しているうちに終着駅に付きました。またしても次の列車まで時間があるので降りて周辺を歩きます。しかし時間的にもここから今来た路線に乗って引き返すことになるのだなぁと寂しい思いをしつつ街を見て回ります。ここもとある武将が活躍したことで有名で、歴史のある街として押し出しているみたい。

自らの存在をアピールする大手門。この門をくぐってこの街を散策することにします。

日陰で眠る黒猫。隣に座ったら一目散に逃げられました。

なんとも特徴的な校舎の小学校。奥の校舎も、時計台も、手前の三角屋根の良くわからない別棟も、他とは違うぞという雰囲気を醸しております。

遠くにはこの街を象徴するお城も見えます。今でこそこういう建物たちの魅力やすばらしさが分理解できるようになったのですが、子供の頃過ごしたならば何もない田舎町と思って毎日を生きるのでしょう。

下調べをしない無計画な旅だからこそ良きものに偶然出会った時の喜びもひとしおというものです。前々から知っていて念願の出会いというのも悪くはありませんけれどね。

日陰を求めて神社を抜けます。

あっというまに日差しの下にさらされますが、今日は風が吹いていてとても気持ちがいい。参道の鳥居をくぐって吹き抜ける涼風がいくらでも歩かせてくれます。

後に訪れた資料館で見た写真ではここの鳥居は木造でした。資料館のおじさんが今は御影石になってしまったけれどね、昔から鳥居があったんだよ、といっていました

次に訪れた時にはこの旅館に泊まろう。

古そうですが人の気配を感じます。どうやら今でも営業している様子。

街の大通りにやってきました。

資料館前の街の地図。こういう地図を見ると今しがた通り過ぎてしまった面白そうな施設をみる残念さと、これから行こうとする道にある興味深い建物の期待とが入り混じって不思議な気持ちになります。

とても気になる建物。

外はレトロな雰囲気なのに中はお花屋さん?ドライフラワー屋さん?雑貨屋さん?のようなモダンな風景が垣間見えます。次来た時には是非とも訪れたいものですがそろそろ次の電車の時間が迫って参りました。

間一髪で帰りの列車に乗り込みます。今度はボックス席のようで一人の空間を堪能しながら帰路につきます。

そう思ったのもつかの間。とある駅で次の列車は一時間40分後の足止めを食らうこととなりました。ですがその頃の私は足止めなどとは微塵も思っておらず、また新しい土地を開拓できる理由ができたと意気込んでいたのです。

今度の地は今までこの路線で降りたどの地より田舎の様子。駅舎の小ささや周りの雰囲気がそう語っております。

地図。示し合わせたわけでもないでしょうにどうして田舎の地図というのはデザインが似るのでしょう。妙に写実性のある道や川とか、建物を長方形で表すところとか…それとも請け負う製作元があるのでしょうか。謎は尽きません。

西と東にある神社と駅に焦点を当て、歩いて行ってみることにしました。

西の神社を目指して炎天下を歩くこと数十分。冷ややかな夏木立の中ひっそりと佇む神社でした。

樹齢のありそうな神木。

小高い場所に建てられた境内からは眼下の集落が少しだけ垣間見えます。

今まで歩いてきた初夏の暑さをひと時だけ忘れさせてくれる冷涼な神社です。

夏の日差しから木の影に守られた涼しい階段を下りていく際、下からとても心地よい風が吹いてきます。おいしいものを食べた時の多幸感、美しい廃墟に出会った時の退廃的な感動。それとは全く異なる穏やかな幸福です。

大きな屋根の並ぶ集落。たった2時間だけしか存在していなかった人間にはこの地に生きる人々の営みは想像することしかできません。

東の駅を目指して再びホットプレートのようなアスファルトを歩きます。

まったくの偶然ですが先ほど降りた最初の駅で見かけた派手なウェアの外国人が自転車で通り過ぎていくのを見かけました。私が電車に乗って折り返してくるまでの間に強い日差しの中、彼はここまでやってきたのです。見知らぬ人の旅程との邂逅に少し嬉しくなりました。

東の駅。先ほど止まって降りた駅に至るまでに通った駅ではあるのですが紫陽花が何ともきれいでもう一度見たくて徒歩で戻ってきてしまいました。

梅雨の篠突く雨の中だけが紫陽花の居場所ではありません。快晴のカラッとした日の下でもきれいです。

列車が通らなければ乗る人も撮る人も居ない。静かな駅でした。

再び降りた駅に戻るとちょうど帰りの電車が止まっていました。中にはチラホラ同じ方向に帰るような人達が。

やっぱりどことなく鉄道が好きそうな雰囲気の人たちばかりです。そんな人たちに混じって木造駅舎の写真を未練がましく撮っていました。私もまた鉄オタということなのでしょうか。

日差しで火照った顔を天井で首を振る扇風機で冷やしながら今回の旅路のことについて振り返っておりました。

動いている電車自体に興味はありません。興味があると口に出して言えるのは二度と動くことのない車両や朽ちた鉄路、歴史的価値のある駅舎や廃止された廃駅ばかり…

名作鉄道ミステリー、『月館の殺人』の言葉を借りるなら、「考古学テツ」という分類になるのでしょうか。でも彼らほど鉄道の歴史を調べているわけでも鉄路の変遷に博識な訳でもないのです。

ただ乗って訪れた集落を歩き、その建物や事象に感嘆する。自分は「テツ」ではないという傲慢な自尊心の前には「旅人」であるという矮小な誇りがありました。

向かいのロングシートに人が座るまで撮っていた車窓。暗かったり緑一面だったり西日が差し込んでいたり。流れるように変わる風景を前に「テツ」もまた広い意味での路線を楽しむ「旅人」なのだと感じます。

時刻は午後5時43分。夏至が近いこの季節はまだまだ明るい時間ですが、終点へ着いたことで旅が終わったという喪失感や満足感とが入り混じる何とも言えない気持ちになってホームに降り立っています。

車両の顔を撮ろうと群がる人々を怪訝に思いつつもその車両の周辺施設が持つ魅力に気づかずにはいられないでいる複雑な気持ちと共に、結局は今回の列車の旅はとても良かったと満足な気持ちを最終的な結論で締めくくって帰るのでした。

 

寡黙な鯨とお洒落な首長竜の街。

遠い遠い海の街。主要都市に旅行に行ってもどうにも行くところが無くて、ちょっと離れたこの地域にやってきました。駅の改札から歩けるペデストリアンデッキからはなんとも現実味のない風景が一望できます。

軍港の街だったあって、今でも灰色のお船が沢山泊まっています。

それ以外に目を引くのは赤と白が派手でとても目立つこのクレーン群でしょうか。

非現実的な大きさのタンカーが泊まっていましたから、コンテナの積み降ろしに使っていて今でも現役のクレーンたちなのでしょう。

そしてこちらは本来の役目を終えて陸に揚げられた潜水艦。

中は博物館になっていて、戦中の歴史や海軍の仕組みが本物の展示物と共に分かりやすく示されています。これは電話線が埋まっているから気をつけろポスターに似てるなーと思って撮った写真。時代を感じる一枚。

特筆すべきは潜水艦の中も見られることです。先日、ドイツの映画「U・ボート」を見てその緊張感あふれる狭い潜水艦内を想像していたら思ったよりは快適そうでビックリしました。おっと、艦内は撮影禁止ですよ。

外に出て閉館時間が迫るころには辺りはオレンジ色に染まりかけておりました。

海の方へ歩きます。岸辺は公園となっていて、老夫婦、カップル、子供づれ。様々な人たちが散歩を楽しんでおりました。

公園内の一部は木製デッキとなっていてこれはかの戦艦大和の甲板を表現しているらしいのです。東洋一の軍艦という割には小さな船体だと感じたのをよく覚えています。

それともここが沈む心配も飛行機が飛来する心配もなく優雅に歩いていられる場所だからでしょうか。

先日「U・ボート」を見たと言いましたが実はもう一つ、戦中の映画を見ていました。それはまさにこの地に住む主婦を主人公にした、ゆったりとしていて悲しく、それでいてやりきれなくなる淡々とした日常を描く物語です。

山のふもとにある彼女の生きたモデルの家の場所を訪れようとも考えたのですが、公共交通機関で行くにはこの時間ではあまりに遠く、泣く泣く海から眺めているにとどめました。

アニメの映像の中で見た海の風景とはまるで異なります。こんなに現代的でないのは当たり前ですし、80年近くもの時を経ているのです。でも日暮れの穏やかな時の流れや遠くの山の風景、どうにも現実味の帯びない船やクレーンが並ぶ様は同じ場所だったのだなぁと実感させられます。

リアリティの無いこの風景がどうにも私には彼らが首長竜のように見えて仕方がありませんでした。

作中では爆撃を受けて焼け野原となっていたこの場所も機械仕掛けの生物たちが生息する湾岸の街として深く深く印象に残っています。

さっきまで明るかった辺りが晩陽となり彼らの影がありありと残る時間になりました。

そして先ほどまで見ていた潜水艦の愛称は「てつのくじら館」。この街になんともふさわしい異名です。彼は動かなくなった今も首長竜を見つめて陸の上に立っています。

とっぷりと日が落ちた後に見た駅標に日本語的韻を踏んだ独り言を思い浮かばずにはいられなかったのです。

 

征く人咲く花、枯れ廃村。

舗装されているのだかされていないのだかよくわからない道を延々数キロ。住む人のいなくなった廃村を訪れていました。集落のしょっぱなから崩れかけた廃屋が建っていてここが廃村であるということを思い知らされます。

手入れをほどこせば修繕をすればまだまだ住めそうな家屋。

それでも人の気配はありません。ここに来るまでの苦労を思えば道理でありましょう。

集落の上の方へ。崩れかけた木造家屋が去年の夏に絞め殺された植物を纏って朽ちていってます。

さらに上へ。満開の桜が呼んでいる気がしましたので、つられて荒れた歩道をえっちらおっちら登ります。

いかに里に人が居無くなろうとも関係なく、植物の己が儘に咲き誇っていました。

人の住まなくなった建物となお繁栄を続ける草木との対比がなんとも哀愁をそそります。満開の時期に訪れることができて本当に良かったと思いました。

今はまだ形を保っている家々。何年後か何十年後かは分かりませんがいずれ土に埋もれてここに村があったことも分からなくなってしまうのでしょう。それがなんとも悲しいのです。

金属板に覆われた茅葺屋根。

この集落の全体像。電線が通っているところとか、人工的な構造物とか。かつては人が住んでいたことがありありと想像させられます。木材となった木は土に還っていくばかりですが地に咲く花や樹木のなんと強いことでしょう。

自分がシャッターを切る音をやめれば、辺りは風の鳴る音と鳥の鳴き声と、水のさらさらと流れる音だけが聞こえます。とても静かな里でした。

そして集落の真ん中にはお地蔵様が一体。見守るかはたまた達観しているかのように寂しげに佇んでいました。

傍には菜の花、見る限り最近供えられたもののようです。こんな廃村にも訪れる人がいようとは、この花を見なければ気づきませんでした。いかに寂れて家屋が崩れた廃村といえども供えてくれる人さえいれば決して忘れられた里ではありませんし、住む人がいなくとも廃村ではないのかもしれません。

遠く枯れるだけの廃村であると思っていたことを恥じ、私もそこに生えていたスミレを供えてその村を後にしました。

 

倍々旅路でバイバイ・モラトリアム。

いつも一人旅をしていると時たま誰かと行く旅行はどんなものだったっけ?と忘れてしまうことがあります。修学旅行や家族旅行で経験しているはずなのに、一人旅の時の自由な時間に肩まで浸かっているとその喧騒や楽しさをとんと覚えていないのです。

そんな時に旅と旅行の違いについても考えることがあります。両者の違いは何なのか。1人の時は「旅」で誰かと行くのは「旅行」なのか。人数だけでそう簡単に決めてしまえるものでもない気もします。

もしも旅行の楽しさを忘れてしまったのなら取り戻したいし、一方で今ある旅の喜びを忘れずにいたい。

今回の旅は5泊6日の日程の中で旅程を共にする人数が目まぐるしく変わり、旅と旅行の違いは何かを考えた人間の文章であります。

公正なる投票で決められた旅先は大阪と奈良。言わずと知れた西の首都です。ハッキリ申し上げるならば奈良はともかく大阪という土地にあまりいい感情を抱いてはおりませんでした。行ったことないのにも関わらず、某サラ金漫画と下町ホルモン屋女児のアニメで偏見を抱き、治安が悪くて声が大きく、歩く人間はヤクザと虎柄おばちゃんの街だとばかり。

それらを払拭するためにも集合日時の前の日から前泊入りしてとある店にてお酒を呑んでおりました。これはなめろう

銘柄が分かるほど堪能な訳ではありませんが、どれもこれも美味しい日本酒でした。

その日の宿は天王寺の「葆光荘」。大阪の騒がしい通りにありますが、それでも静かに佇む、しっとりとした雰囲気が特徴です。

この旅行の最初の夜を過ごすに相応しく、安寧の一人旅を提供してくれた宿でした。

朝食。朝からお鍋と天ぷらが出てきたのには仰天しました。しかもどちらも美味しい。

満足した気分で宿を後に。昨夜はあんなにもうるさかった通りが路上のゴミだけを残して静かです。これ以降は続々と友人たちと合流しつつ大阪観光を楽しむ予定です。

2日目の朝は夜行バスできた一人の友人と合流。ナポリタンが大好きな彼が下調べしてくれた喫茶店へ行きます。写真で見たナポリタンが美味しそうだったらしい。こういう喫茶店が街中にも多いのが大阪の特徴なのかもしれません。

結局料理の提供は行っておらず、二人してコーヒーを啜った訳ですが。そういう失敗もまた旅情なり、です。また別の話にはなりますが、彼の注文した「激ウマコーヒー」は本当に激ウマでした。

それからは集合場所である京橋の一棟貸し民泊まで歩いて向かうことにしました。私も彼も歩くのは好きなものですから、敢えて地図アプリを見ないで行ってみようということになりました。

歴史のありそうな建物がある地域をぶらぶら。

いつもは一人でする散策も話相手がいるのも楽しいものです。

大阪の一つの特徴だと思ったのが活気のある商店街です。東京ではどこか寂れている通りが少しは目にするものですがここにはそれがない。風土の違いを感じます。

一方、閑静な公園が整備されてもいる。これはたまたま歩いた場所がそうだっただけかもしれませんが。緩やかな川に船が巡航する風景というのはやはり東京にはないものです。

天気も良かったので寄り道。

偶然目に入った造幣博物館に行くことに。人数が少ない旅行だからこそできるフレキシブルな旅程です。初めて訪れる土地の地形を生かした造幣局の生い立ちと歴史が思いのほか面白くてつい長居をしてしまいました。

遠くに大阪城を見ゆ。目的地をだいぶ外れているようです。

昼食。一人なら即決できる店選びも二人だと時間がかかり煩わしいのが何とも楽しい。

それからは友人達皆と民泊で合流し、人数はついに8人へ。大所帯となって大阪の街をそぞろ歩きます。

言わずと知れた通天閣。いつもならこんな騒がしいとこには行く気も起きませんが、皆となら俄然やる気になって先頭を歩けます。

銀が泣いております。ボロボロになっても修理しないとことか、すぐ横にパーテーションすらない喫煙所があるところとか。いかにも大阪らしい。

今回のベストショットです。

お次はあべのハルカス

無料で行ける高さまででも十分高くて楽しめる。それでも東京タワーやスカイツリーと比べてやっぱりあっちのほうが...と優位を保とうとしてしまうのが東京人の悲しい性であります。

大阪観光のガイドブックかのように夜は道頓堀へ。だって8人もいるのですから。無難な場所になるのも道理です。

それでもみんなでグリコの格好して写真を撮って。観光客になりきれる特権を持っているのは若い今だけなのだと思い知らされます。

極め付けは大阪城。コンビニで思い思いのお酒を買って夜桜鑑賞と洒落込みます。皆が350ml缶一本だけなのに私だけロング缶2本買っていたのはすぐにバレてしまいました。

昼はあんなにも歩けども遠かった大阪城がライトに照らされ、雄大に建っています。

なんでもないことがかけがえのないものだったと気づくのはきっと遠い未来のことなのでしょう。

西の都の夜景を見ながらほろ酔い気分で帰路に着いたのでした。いつもと違うのは8倍もの話相手がいる点です。

3日目は奈良。近鉄で40分は丁度良い観光地であります。

修学旅行以来ですが、子供の頃には分からなかった仏閣の良さや楽しみ方というものが身についています。それに皆が理系の人間なものですから、造形に深くない歴史的な観光は新鮮なみたい。

二月堂からの眺望も晴天で気持ちいい。

お昼は釜飯の店へ。これまた美味しい...

昔は建物なんか見て何が面白いのだろうという思いがありましたが、昔のものが改修や修理、保存を成して何百年も残っている姿は歳を重ねてからその凄さ分かりました。自分自身が年月を経ているからでしょうか。

そうなればいざ中高年、高齢者になったときはどれ程の感慨が得られるのか。今は想像だに尽きません。

先頭を歩く私の一存で、趣味の街並みへと向かう途中です。

大阪の人通りの多い場所よりはやりこのような道の方が好みです。

ならまちにある椿井市場。皆の無言の反対を押し切って私が来たかった場所であります。

半廃墟とも言える商店街はほとんどがシャッターを下ろしております。その中でも健気に店を営む料理店なんかの風情を見てもらいたかったのです。

皆に廃墟趣味を隠してはおりませんが、それなりに理解と感慨を得てもらえたようで。我儘を言った甲斐がありました。

宿泊地の屋上からは高層ビルと青い空と下世話なホテルが同居しているのが見えます。こんなにも早く帰って来たのは今日は外食せず皆で料理をするから。

あーでもないこーでもないと騒ぎながら作るメニューは餃子です。前々から餃子パーティをしたいという意見は一部であったのですが予定が合わずやらず仕舞いでした。この旅先の地においてついに実現したのも感慨無量です。

見た目は遠く店のものには及びませんが、山のカップ麺が美味しいのとか、キャンプで食べるカレーが格別であるのと同様にこの餃子もまた唯一無二の味です。ワイワイ後片付けをしつつ夜は更けていきました。

4日目は定番中の定番のテーマパーク。こちらも私一人ならば絶対来ないところです。それでも勧められて事前に試聴した映画のセットさながらの風景に恥ずかしながら興奮気味です。

テーマパークだからそこ昼から呑んでも許されますしね。

個人的に気に入ったのは配管工ゾーン。青春を費やしたと言っても過言ではないゲームの舞台まんまの風景を目の前に人混み嫌悪の気分も吹っ飛びました。

一杯のビールの効能か、それとも園内の熱気に当てられたのか。こうしてみると作られた風景や夜景というのも悪くないなと思えるのです。

一人で来ていたらその人の多さに辟易していたことでしょう。それをカバーする大人数の楽しさがあったのです。

5日目はこれこそ私の我儘で植物園。

観光でよくスポットとなる動物園や水族館とはまた違った良さを知って欲しかったからで。というのは建前で、単に私が行きたかっただけです。

それでもそれらに比べてるとマイナーな植物園温室の良さを改めて知って貰いたいという差し出がましい気持ちがありました。

全員が植物系の集団にいたからか、なんだかんだ楽しんでいたみたい。

それでいて反省点は皆のじっくりとした見学を遅いよと急かしてしまったことです。人には人のペースがあるというのに。自分が言い出したのにこの所業。後の旅程が押すことを危惧して雰囲気を壊してしまったことはこれからも一生忘れずに引きずることとなると思います。思い出しても申し訳無いことをしたと悔やまれます。

ここからは予定がある4人は帰宅し、まだまだ余裕とバイタリティがある4人に別れて旅が続きます。私を含む4人は折角ここまで来たのだからと近畿の南部、和歌山にレンタカーで向かいます。これは途中で見えたエセあべのハルカス

4人のバイタリティは土砂降りの中でも碑を見に外に出て写真を撮る行為に滲み出ております。

果ては紀伊半島の東側まで。ここまでも私は全く運転をしていないことが申し訳なくなります。

紀伊勝浦駅前のbodai。これがとんでもない当たり店でした。運転がなければ確実にお酒が進んでいたことでしょう。

鯨の竜田揚げもたまらなく美味しい。

夜が遅くなってしまった商店街もまた風情があります。

3人が懸命にいい店を探してくれて、車の中ではウトウトしていた私が言うのも何ですが、自信をもってオススメする店でございます。

今宵の宿。男女1部屋でギュウギュウでも何も文句がないのがこのグループのいいところです。

翌朝。6日目も相変わらずの朝から土砂降り。それでも折角温泉地に来たのだからと雨に打たれながらの露天風呂は最高でした。

宿を出て、熊野本宮大社

この雨の中でも傘をささないというのはバイタリティとはちょっと違う気が....

神社の静謐さは雰囲気は雨の中でこそ輝きます。

日本一の大鳥居。写真では分かりづらいてすが近づいて見上げたならば、その大きさは圧巻です。

道の駅那智に併設される本物の駅。レトロな佇まいがとてもいい。

人気のない駅は乗らずに眺めるだけでも楽しいのです。

道の駅那智。チェーン店ほど大衆的でなく、それでいて観光客でも入りやすくて地域の物産がズバリ手に入るのが道の駅の魅力です。

熊野那智大社へ。

雨上がりの雲は常緑の山々に見事に映えます。

石段を上り、

本殿へ。

帰りの石段もこれまたいかにも観光地らしくてとてもいい。

かの有名な大門坂。ここでもまた私の悪い急かし癖が出たのは不徳の致すところです。

那智の滝。雨が降った後だからか、いつもより水量が多いようです。

風景だけではなく、被写体がいるというのはいいですね。人の笑顔を撮る楽しみをようやく知ったところでもあります。

気になったフォント。

時間も限られております。最終目的地の白浜へ。ここまでも私は運転しておりません。本当に彼女達には頭が下がります。

白浜の浜辺。世の中にはタコの遊具マニアがいるそうですね。

美しい景観と仲の良い仲間。これ以上何を望むのでしょうか。

一人旅では決して撮ることのできない写真。こんなふざけた写真が撮れるのも今だけ。

いつまでも浜辺では靴を脱ぎ捨てられる仲間でありたいと思いました。

モラトリアムの終焉とも言える5泊6日の中で1人の楽しみも悲しみも。大人数の賑やかも煩わしさも、そして急かしてしまった反省も。全てを体験できた旅路です。浜辺を出発してすっかり疲れ果てた飛行機内では1つの思考について考えていました。

旅は寂しさや静けさや穏やかさを楽しむもの。旅行は楽しさや賑やかさや興奮を楽しむもののような気がします。1人の時では風の吹くまま独断で旅程を決め、静かで落ち着きのある旅路は、大人数になったからこそ感想や意見を言い合い、ワイワイと賑やかなものになりました。それこそが旅と旅行の違いではないでしょうか。「旅」を「行う」と書いて「旅行」。1人では小さな旅でもそれが人数として集まることで別の感覚が生まれることを知りました。

旅路の殆どを私の独断と我儘で組んでしまった「旅」を、7人の仲間が「旅行」として楽しんでくれたことを祈るばかりです。

 

歩みは進めど、筆は進まず。

三月上旬までにどうしても完成させなければならない文章がありまして。文豪のような気分になれると聞き、ここで書き上げるぞという気持ちと、もうどうにでもなーれという気持ちとの半々にこの地にやってきました。

ここはかつての文人たちが泊まった愛したとして有名な温泉地。それでも熱海や箱根と違ってずいぶんと静かなことが特徴的です。

通りを歩く人はほどんどおらず、ただ川の流れの音だけがごうごうを響きます。

そしていつも温泉地に来たときは夕暮れ時に歩くと決めております。

青く黒くなりかける空の下、暖色系の灯りが旅情を誘うからです。

写真で撮っても独特の色味は伝わりません。不思議な温度の夕風と通りに一人の孤独と共に見てこそ初めて認識できる色だと思います。

書かなきゃいけない文章のこともほっぽらかして、気分だけは休養に来た文豪気分で夕暮れの通りを歩きます。

とはいっても小説などあまり読まないものですから。夢十夜という文字を見て、国語の教科書で見た気がする...なんだっけ…程度の知識です。

河原に並ぶ電灯と段をなして流れる川が温泉地に来たという気分を向上させてくれます。

さっきまでは手元がみえるほどだったのに見る見るうちに暗くなってきました。

梅が七分咲き程度。狙った日に満開にできるほど順風満帆な人生は送っておりません。

今風の立ち飲み屋。古い温泉街ですが若くて一人でも入りやすいお店があるのはありがたいことです。クラフトビール一杯と、今宵のご飯どころの情報を得てさらに街を下ります。

川に沿って通りが作られる街というのは迷う心配がなくていいですね。散策もしやすい。

左右を見れば老舗の高級旅館がずらり。

名のある文豪が泊まった宿として有名です。

文人ゆかりの宿が憚るばかり。

現実逃避なんてしてないでそろそろ戻らなきゃならない時間になってきました。

当日の宿。決して高級なお宿ではないけれど立派な唐破風の入り口や温泉は格別です。なにより筆の進みそうな雰囲気が気に入りました。爬虫類の多さだけが難点です。

旅情に浸った後は涼しい広縁にて。オレンジ色の光にあてられて自分の体験を記述する別の文章だけがスラスラすすんでいくのでした。